すっかんぼの歌(新堀)
田崎を起点にして、横へ伸びている集落が干溝(へんぞ)、下へ伸びたのが新堀。
ともに田崎の枝村として発祥した、と推定できます。
現在は双方併せて新堀になっているようです。
この章は、その新堀です。
新堀の遠景・春と秋
石万川下流より見たもの。
向って左手がへんぞ、右手が新堀。
干溝(へんぞ)
まず、へんぞから入りましょう。
法音寺方面から来くると、あたりは広い田園地帯になっていて、中ほどにポツンと竣工記念碑が建っています。
むこうに森が見えます。
へんぞの森
森の中に鎮守様があり、へんぞの集落はその後方になります。
竣工記念碑
このあたりは畑が多かったのですが、昭和40年代の土地改良事業で、全部田んぼになりました。
開拓碑
やはり土地改良事業の記念碑のようです。
田始めや 八海山に一礼し (泰孝)
いい句ですねえ。
でもこの句碑は、じっさいは森の中の視界の悪い所に建っていて、背景に八海山は見えません。
絵の世界で、八海山と句を組み合わせてみました。
ところで話は変わるけどーー。
母校・城内中学校の校歌をだれが作ったか、ご存知ですか。
私も知らなかったんですが、本サイトの最後にUPした『さらば城中』ね。
あれを作るとき、ちょっと調べてみたわけ。
そしたら「作詞・高橋泰孝」とあった。
たぶん、この句碑と同じ人。
きれいな歌詞ですね。ことに私が好きなのは3番。
~♪ 白雪はさえて気高く 校舎(まなびや)の窓に明るく・・・
だったかな。
でも中学校の合併に伴って、70年間、歌い継がれたこの歌も、消えていくんでしょうねえ。
どいの堀
懐かしい響きの名称ですねえ。別称新田堀。
その昔、三国川から水をひき、上原を通り、宇田沢川を横切り、下原新田の水源となった堀だそうです。
どいの堀に流れ込んでいる二つの堀
藤原ざっぽりと、じけざっぽりかな?
両方とも、あやふや。
へんぞの民家3景
雪の諏訪様(鎮守様)3景
新堀
へんぞに別れを告げ、石万川を渡ります。
十字路があり、右が新堀、左が田崎。
――だと思うのだが、実は私は、新堀と田崎の境界線を知らない。
地蔵さんらしき建物があり、道祖神らしき墓群がある。
田崎の地所のようにも思いますが、いずれにしてもこのへんが境界線。
もし違っていたらゴメンナサイ、と先にお詫びして、ここを新堀の出発点とします。
石万川(こくまんごう)橋
地蔵堂?と道祖神
十字路
道路標識の正面矢印が、津久野になっています。
へえー、津久野行きの道ねえ。いつ出来たんだろう?
そんなもん、もう40年前だよ、と言って笑われるかもしれませんが、私にとって初めての道。
まずは、その道を行ってみよう。
途中で気が付いた。
どうもこれは工業団地用に作られた道だな。
ほどなく工業団地に着き、そして三国川にぶつかります。
五城大橋
三国川には橋が架かっている。
五城大橋とあった。
名前は、五十沢の「五」と城内の「城」をとってつけられたのだろう。
橋の向こうが五十沢の津久野。
橋でUターンし新堀集落へ帰ります。
堂平山のトンガリがすぐそこのように見えますが、あれは遥か彼方の出浦(いづな)の山です。
集落内
県道沿いに、民家を見ながら、新堀の集落を下ります。
その昔、三国川が氾らんして、この村を真っ二つに分断した時代があった。
それで江戸期の文献には、上新堀村と下新堀村が出てくる。
その分断点はどの辺りだったんだろう?
家の横から八海山が見える
下諏訪神社(鎮守様)
集落最下部にあります。
道祖神
神社前に三夜塔などの石碑が一群をなしている。
この三夜塔もはやり、五十沢の江戸期の名工タロベの作だとか。
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