さくりごう(三国川)の夏
さくりごうへの道
山王鼻を抜けて、街道(田崎・深沢間の)を横切ったあたりから五十沢の山を見たもの.。
現在は、区画整理されて平坦な田園地帯になっており、三国川はおろか向こうの岩崎集落まですぐそこに見える。
でも昔は、このへんまで河川敷が伸びていて、榛(はん)の木や泥柳の茂る森だった。
藪(やぶ)や茅場(かやば)も多かった。
三国川へは、そこについた細い草道を分け入って入って行った。
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桂山
川の対岸からみた城内方面。桂山の後ろに八海山が顔を出している。
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水浴び
中学のころの水浴び場がここだった。
梅雨時は満々の水をたたえるこの川も、夏になると枯れ、流れは、石ころだらけの川原の一部を蛇行するだけ。
それでも所々に深みができていた。
夏休みになると、この深みを広げるため、石を積んでせき止める。そうして自分たちのプールをつくった。
午後になると、そこに田崎・へんぞ・じけ藤原の子供たちが集まってくる。
新堀の子もいたと思うが、新堀新田の子は見たことがなかった。
新堀新田の子はもっと下流に彼ら専用のプールをつくっていたのだろう。それとも魚野川まで行ったか。
逆に深沢や畦地(あぜち)の子は、同じ三国川のもっと上流につくっていたはず。
夏でも水は凍てつくほど冷たく、チンボがタニシ状に縮こまってひっぱり出そうとしてもなかなか出てこない。
だからションベンは、知らん顔をして水の中にした。
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対岸は五十沢。
「川を挟んでよく城内の子と石合戦をしたものだ」
と、津久野(五十沢)の子(いまはジーサン)が言っていたが、残念ながらその記憶は私にはない。
ただ、
「川原にクルミの木が多かったネ」
という部分で、思い出が一致した。
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あと記憶にあるのは、カジッカとやまめ。
草いきれ。
ヤカンいちご、川原ぐみ、川原なでしこ。
スイッチョだったかギッチョンだったが、虫の声。
河川敷内の畑に熟れていた真っ赤なトマト。
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帰り道
よく草のワナをしかけた。
道に生えている雑草同士を結んで輪を作るだけのものだが、草道に草のワナだからなかなか効果的だった。
当時のはき物はゴム製の短靴かゴムゾウリ。
特にゾウリの場合は、すり足になるから、必ずといいほどこの輪の中に足を突っ込む。
すると前方につんのめって転ぶ。
輪を横に二つ並べておけば、まず完璧。必ずひっかかる。
そうやって友だちがひっかかるのを、藪陰(やぶかげ)に隠れて楽しむといういささかタチの悪い遊び。
あるお日がらもよろしく、平和な夏の日の昼下がり。
この罠を仕掛けて、物陰に隠れ、友だちがやってくるのを待っていた。
ところが向こうからやってきたのは肥桶(こえおけ)をかついだオッチャン。
中身はあふれるほどなみなみ。チャップン、チャップン、と音が聞こえてきそう。
オッチャンはこぼさないために、腰を少し落とし、前足の方からススーススーという感じで歩いてくる。
つまり究極のすり足。
ということは、間違いなく......輪に足をつっこむ。
逃げろ!
この先、起こるであろう修羅場に責任をとりかねる。
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そんなわけで夏休みが終わるころは、みんな真っ黒。
新学期。
先生が教室に入ってきたら、全員、後ろ向きに座っている。
「こら! 前を向け」
「向いているよ」
「え?」
ウラもオモテも分からない。
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