せせらぎの歌(宇田沢川)
この章は(広堀方面から)丸山橋を渡って、上下出浦橋を経由し、長原橋橋までたどります。
丸山渡って
三叉路曲がりゃ
明川(あけごう)の山が見えてくる
川のほとり
そのまま直進すると、川にぶつかり、その手前に廃家が現れる。
その昔、ここに集落があり、昭和44年の宇田沢川の氾濫で被害を受け、集落ごと藤原にあった東邦亜鉛の住宅跡へ引っ越したと聞く。
その時の廃家だろうか?
明川の双子橋
廃屋を通過すると広堀川にかかる橋があって、渡り終わるとすぐまた双子のように似た橋が現れる。こっちは祓川にかかる橋。
明川村のイメージ図
橋の向こうの山中に集落があったそうです。
※ 実際に上掲の橋から祓川沿いに約1キロほど、左写真の道を歩いたところに集落跡の広場と、かって有ったであろう住宅の痕跡が見られた。
実はその奥の山の斜面に、1950年代、酪農組合の育成牧場、その後牧草地になったところが有り、何度か通ったことが有る。
その時はまさかこんなところに集落が有ったなど考えもせず、駐車場として使っていた。
これは死んだおばあちゃんから聞いた話だが、郵便配達の人が、特に冬場とても大変で、当の住民も大変だろうと説得して下に移転したようだ。だがその移転先も、上記のように昭和44年の宇田沢川の氾濫で壊滅状態。上原の東邦亜鉛住宅脇に造られた集合住宅に集団移転した(雄記)。
ここから宇田沢
双子橋のすぐ下流で堀堀川と祓川は合流し、ここからが宇田沢川。
きのめざわ橋
らんかんには木女沢橋と書いてあったが、たぶん「きのめざわ橋」と読むんじゃないかな?
宇田沢頭首工
カジッカとり
網を固定して魚を追い込む。雑魚(ざっこ)すき方式のようだ。
漁人はタチ――といっても子供のころのあだ名だから、わかんねだろな。
下薬師堂の床屋のマスターで、私の同級生。
五日町方面を眺めると
雪解けの奔流
下流に見えるのは上出浦(かみいづな)橋
上出浦橋
ぐえ、ぐえ・・・「あれっ! ヒキガエルの声が」
と思って下方を見ると、足元にカモが寄ってきた。
餌つけをされているのか、人懐っこい。
どこか牧歌的な雰囲気だ。
(たしか2012年のことでした)
橋の向こうは上出浦集落
堂平山の紅葉
下出浦(しもいづな)橋
橋の向こうは下出浦集落
橋からのぞむ鬼の面(おにのつら)
鬼の面
この岩場の下にあった淵が、子供のころの水浴び場。
今は流れが変わって淵にはなっていないようだ。
長原橋
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