「城内」と一致するもの

【“九輪草”(クリンソウ)】、この花の原産国が日本である事は意外に知られていない様です。

    クリンソウ : サクラソウの仲間。単体の花は世界で400種以上と言われているサクラ
            ソウの仲間に共通で、花の外形からは殆んど同じで見分けが付き難い。
            しかし花の集合体である草としての体形は、サクラソウの仲間でも最も見
            見分け易い種類と言える。

            ハクサンコザクラやミチノクコザクラ等も同じ仲間であるが、専門家でも
            見分けが難しく、葉の形状・大きさ、植生地域、等で分類されているのが
            実態の様である。

            【クリンソウの】場合、花の付き方に特徴があり、一本の茎を中心に寺社
            の九輪塔の先端部の様に花が輪形に咲き、その輪形が段々と重なって咲く
            姿が、九輪塔に似て居る事から名付けられたと言われて居ます。
            花は下の輪形から段々と咲き登り、やはり下の段から順番に散って行く。
            個々の花の開花期間も1週間位ある為鑑賞期間も長く 千手ヶ浜の場合、約
            3~5週間位は楽しめる様です。 (年によって異なる)

昔は北海道から九州まで、日本の何処にでも自生していて「サクラソウ」の仲間では大型の花として
良く知られた花だそうである。

いつの間にか洋種の「プリムラ (Primula) / サクラソウラソウの仲間」が販売され、一般に広がった
為、「クリンソウ」も元来は外来種だと勘違いして居る人が多いのだろうか。


ともあれ、今年の花期は過ぎてしまったが、そんな日本原種の【クリンソウ群生の原風景】の一部を
ご覧頂きましょう。

 

   ◆ 日光中禅寺湖畔、千手ヶ浜・「乙次郎橋」付近
     ・・・ 左上に見える橋が「乙次郎橋」、橋が通る道の向こうが中禅寺湖2014.06.22  - 076B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

 

   ◆ 千手ヶ浜 ・・・ こんな素晴らしい自然がこんな身近に
      (赤沼バス停・情報センターで購入=50円のガイドMAPより抜粋)
中禅寺湖畔・千手ヶ浜(クリンソウ群生地).jpg

    此処を訪ねるには、国道120号線の「菖蒲ヶ浜」か、「竜頭の滝」駐車場から、湖岸沿いに
    歩くのが一番いいと思う。

    軽いハイキングと花を楽しみ、晴れれば男体山等対岸のビューポイントも多数有り、時間と共
    に移りゆく風景は、行きも帰りも飽きさせない。 (片道約100分位)

    「歩くのが苦手」と言う方は、赤沼バス停(自然情報センター前)から シャトルバスを利用す
    る事になる。
    この場合、 ①時間帯に依って駐車場確保が難しい ②バス待ち行列が、行きも帰りも有る 
    ので時間にゆとりを持ったスケジュールが必要です。
       (クリンソウ最盛期はどちらも1~2時間待ちは、当たり前らしい)
    ただ、クリンソウの咲く頃は、小田代ヶ原や戦場ヶ原はワタスゲやレンゲツツジも見頃となる
    季節、帰り道は「小田代ヶ原」や「戦場ヶ原」を散策しながら帰るのもお薦めコースです。

    詳細情報は、「千手ヶ浜」「クリンソウ」をキーワードにWEB検索すれば、色々な、サイト
    が検索出来ます。

    私の前回の投稿、 【花ドライブ】(山野草 ・ 初夏 編) からも、日光市観光協会等へ リンク
    出来ますのでご利用下さい。

 

    今年はすでにクリンソウの花は盛りを過ぎてしまいましたが、  「来年は!」  とお考えの方
    は、以下の【クリンソウ見学ドライブ 実践録】が参考になると思います。
 

【クリンソウ見学ドライブ 実践録】


   ◆ 2014 - 6 / 22 (日曜日) 天気:雨天 ・・・ 同行者:兄夫婦

       朝6時20分、赤沼駐車場着 → バスは雨天で季節運行との事で、7:50発
       → 8:20 千手ヶ浜着 → 千手ヶ浜・クリンソウ散策
       → 10:40 千手ヶ浜発 → 11:10 赤沼バス停 → 他へ (以下省略)

   ◆ 千手ヶ浜バス停着時の風景
2014.06.22  - 001 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 千手ヶ浜への途中にて
2014.06.22  - 008B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 「外山沢橋」 ・・・ 後は中禅寺湖、下は泳ぐ魚が見える清流
                 日光白根山を源流として、中禅寺湖に注ぐ川2014.06.22  - 013 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 千手ヶ浜に広がる、【クリンソウの群落】様々
2014.06.22  - 023B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 030B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

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   ◆ 川にはこんな魚も (24~25cm?位のサクラマスと思われた)
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   ◆ 近くを歩いていた小学生らしい子供が、 「ゴジラだ!」 って言ってたっけ
        (言われて見れば、納得! 何となく哀愁を漂わせた後姿に見えなくもない)2014.06.22  - 063 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

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2014.06.22  - 074B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

 

 実はこの日、雨の為殆んど雨傘が手放せない状況で有ったが、思ったより発色が良く見た目とほゞ
 変わらない写真になった。

 カメラはコンパクトタイプですべてカメラ任せ、おまけに花は最盛期を過ぎて “残り花” に近い為、
 クローズアップ写真は撮らなかったが、思ったより群落らしさが伝わる写真になったのではないか
 と思う。

 来る前にはこんなに花が見られるとは考えて居らず、「もう花期は過ぎてしまって、咲き残りの花
 が見られたら上出来」、「天気予報も降水確率60%」、今回は コンパクトデジカメ(コンデジ)
 で充分だろう ・・・ って思って来たのが、誤算でした。

 「もっとズームやマクロで撮れるカメラと三脚を持って来れば良かった!」 と、反省。

 その上で、来年はもっと早く、最盛期に来たいものと、痛感している。 

 出来ればもっと晴れた日に!!

         ・・・・・  私も リピーター になりそうです!

 

 参考 : 故郷・南魚沼市からも、意外に近いですよ!  

   ◆ Google マップのナビ検索で、兄夫婦が来るルートを検索した例
      (城内・上原~沼田~金精峠~赤沼茶屋・シャトルバス発着場)

      実際には、この時間に渋滞や休憩時間等をプラスして下さい。
南魚沼市・上原→赤沼茶屋.JPG

 

佐渡

久しぶりの投稿。先日、佐渡へ行ってきた。仕事半分、遊び半分みたいな旅行。

新潟県人なのに佐渡は初めてだ。こんなに良いところだとは知らなかった。佐渡は良い。浪曲にあるように佐渡は良いか、住みよいかだっけ?佐渡情話、本当に良いね。

何が良いかといえば、人はもう新潟県人なのでいい前提で、まず食べ物、そして景色や雰囲気。食べ物は海産物がすごくうまい。特に海藻類がうまかった。名前も知らなかったようなものが結構あったがすごくおいしい。乾燥わかめ、そして新潟県人特有の「い」と「え」の発音があいまいになる「いごねり」または「えごねり」は、板状のものを巻いた形のやつでこれも六日町あたりで食う箱形のよりおいしかった(のちに上野の吉池にもあるのを発見)。

焼いたあじを干した「焼き干し」もうまかったなあ。城内では、鰯の干したやつは昔「焼き干し」と言っていた(うちだけか?)。おれもそう言ってた。ところが、都会に出てきたら、みんなが「煮干し」という。「焼き干し」は方言なのか?と思ったぐらいだが、これは方言ではなく、ちゃんと「焼き干し」はあった。焼いて干すからか、干して焼いたからか知らないが、「焼き干し」はある。田舎の「梅干し」と同じだ。梅干しはちゃんと干して作っている。漬けているだけではない。残念ながら、最近売っているのはまさに「梅漬け」がほとんどだが。多くの(?)人が、この違いを知らないのではないかと思う。

●初めてのジェットフォイル。これだと、新潟港-両津港を約1時間。フェリーだと2時間半ぐらい。フェリーと田中角栄のおかげで国道360号線ができたという話しは佐渡では有名らしい。国道とするには距離がたりない道を、田中角栄の提案で、フェリーの航路も足して国道基準を満たしたという話し。

ジェットフォイル1.jpg

 

●尖閣湾だ。「君の名は」の舞台にもなったところ。

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尖閣湾2.jpg

 

●佐渡は寺が多い。それも京都ゆかりの寺が多いそうだ。ただ、同じ字を書いて違った読みをさせると言う話しだ。たとえば、京都にある有名な清水寺は佐渡にもあり、こちらは清水寺(しみずでら)。ちゃんと舞台もあり、なんかそっくりさんみたいな感じ。でも、維持費がないらしくかなり荒れている。残念。

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29日は八海山 山開き、あいにくの天気で 人では今一だった。

炎は天高く昇り紅蓮の炎も奇麗でした。

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渡って言うのは城内観光協会会長と 八海山スキー場の支配人

私もこの後、無病息災と商売繁盛願って渡ってきました。

今年も良い事有りそうです。

翌日は坂戸山108灯 坂戸山山開きに合わせて 登山道にロウソクを灯す、今年のロウソクは167本集まったとか。

夜にもかかわらず沢山の人達登ってました。私も7時30分 点火を河川敷でみて それから登り始め9時前に山頂到着

下りは鉄筋棒しょって下山 10時回っていた。

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夜景奇麗でこの景色見るだけで心洗われる思いです。

お陰様で雨にならなかっただけ良かった。。。

新堀新田の花ミズキ

城内の各集落の桜も葉桜となってきました。今は花ミズキ(アメリカハナミズキ)が満開になってきました。

先週まではどこの集落に行っても満開の桜があちこちと咲いていて、どこを見ても春蘭満な気持になりました。 

もう15年以上は経つと思うが、村の若者の集まりの「新堀新田クラブ」が、全戸に1本づつ花ミズキを植える事業を行いました。今はその花が丁度よく育って綺麗に各戸に咲いています。

現在までに花ミズキを絶やした戸もありますが、約30本は育っているようです。当初は50本くらいは植えたと思われますが。この品種はアメリカハナミズキで花の色は濃いピンク色です。秋には赤い実がなって、葉っぱが紅葉します。結構、桜と同じぐらい楽しむことができます。戦前アメリカへ桜を贈ったお返しに来たのがこのアメリカハナミズキです。

村内の上手の花ミズキからです。↓花ミズキと青竹の囲い

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↓花ミズキと赤い花の木(名前?)

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↓花ミズキと神社幟柱

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↓花ミズキと神社幟柱

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↓花ミズキと鯉のぼり

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↓花ミズキと石宮

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↓花ミズキとレンギヨと葉桜

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↓花ミズキと香りのよいライラックとチューリップ

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↓花ミズキと山法師とゼンマイもみ

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↓盆栽作りの花ミズキ

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↓花ミズキと紫モクレン

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↓花ミズキと藤

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↓花ミズキとオッコウ

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↓花ミズキとしだれ桜

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↓花ミズキと雪柳

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↓村中十字路より下手:花ミズキと雪柳H26-5-4新堀新田花水木14.jpg

 ↓花ミズキとスイセンとゼンマイもみ

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 ↓花ミズキと青いトラクター

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 ↓花ミズキとツバキと石宮

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 ↓花ミズキ

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  ↓花ミズキと赤い車庫

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 ↓花ミズキと紫モクレン

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 ↓花ミズキと桜

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  ↓花ミズキと雪柳

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  ↓花ミズキと黄色のレンギヨ

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 ↓花ミズキと葉桜 

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  ↓花ミズキとチューリップ

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今朝の八海山からのご来光

春爛漫、坂戸山の木々もようやく新芽出てきました。

今日も早起きして、坂戸山ご来光撮影です。

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里では水仙満開

2014.04.26-6.jpgつくしも出てました。

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桜も満開、はやいのは 散り始めです。

 

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河原も緑満開。

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春満開の城内です。

グランドの水芭蕉

上原の城内小学校グランドで白い水芭蕉が咲いていました。

晴れた日はウオーキングをしている。通学路を上って小学校を通り、稲穂ヶ丘、千溝、新堀ルートです。

その日の気分で行き先ルートはチョイスしている。5,000~8,000歩位です。

(H26-4-1)まだグランドには20~30cmの雪がありました。端の小さな池では白い水芭蕉が既に咲いていました。

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(H26-4-5)グランドにまだ少し雪が残っているが雪の白さと競う白い水芭蕉でした。

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(H26-4-5)小さな池の中の白い水芭蕉でした。春休みが終わってかわいい新一年生が見つけるといいなあ~。

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(H26-4-11)グランドの雪も消えて春らしくなってきました。周りの雪の白さもなくなり、池の中にだだ白い可憐なまぶしい水芭蕉が目立ちました。

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我が家の水芭蕉が見頃です。

水芭蕉1.jpg

 

裏の小川、夏には蛍が舞い、オニヤンマが遊びに来、川底にはドジョウが生息、

フキノトウも美味しくいただきました。。。

もう春です、八海山クラブの方春爛漫の城内に足を運んでみては。

①八海山のほら

亘さんの「八海山のほら」を読んだときは感動した。絵も上手いし、文章も上手い。何気なく書いているようだが、あれだけのことを書くには膨大な背景知識などが必要だ。自分でやってみれば、いやでもわかる。

最近、おれの城内小学校、中学校の同級生(チヒロという)が地域の歴史に興味をもち、地域史も取り入れながら自分ちの歴史を調べて書こうとしている。で、そいつから静波先生の資料ねえか、というからコピーならあるとやった。昨年末のこと。こいつのことを思うと、西部劇を連想してしまう。そんな、たしか西部劇好きだったような気がする。

そいつから最近メールが来て、「みなみうおぬま」の数ページがPDFで送られてきた。「静波遺稿」「八海山のほら」が出ている。続きが見たいがこれしかないのであしからず。そういえば、横浜の親戚に「八海山のほら」上下巻、こっちは貸したつもりが、向こうはもらったつもりのようで返ってこない・・・・。

みなみうおぬま01.pdf

みなみうおぬま02.pdf

 

②自転車散歩

最近すごいラーメン好きになったような気がする。昔じいさんに連れて行ってもらった六日町駅前の大坂屋で食ったうどんは絶品だと思ったもんだが、今では昼はほとんどラーメン屋。土日まで出かけて食いにいくほどだ。

というわえで、今日は自転車で小岩にある有名なラーメン屋に行った。その途中と帰りに撮ったのが橋から見たスカイツリー。

墨田区から葛飾区を横切り、小岩に。帰りは中川沿いに北上して綾瀬川などを渡って東向島に。このルートはすんなり行かない。地図上ではまっすぐだし、自動車ならそれなりにスムーズに行けるかもしれないが、気の弱い自転車乗りや歩行者は、あっちに行ってからこっちに曲がって、ここをくぐって・・・・などという感じで、そうしないとすぐそこら辺に見える目的地に行けないような地形なのだ。川を埋め立てたり、道路にしたりしたせいか。

平井大橋.jpg新四つ木橋.jpg

 

 

 

 

 

 

 

▲左:ラーメン屋に行く途中に通った平井大橋から見たスカイツリー。 右:ラーメン屋からの帰りに通った新四ツ木橋から見たスカイツリー。

 

③大丈夫???

そのラーメン屋で聞いた言葉。「紙エプロンありますがいりますか」云々と、店員が訊くと、おれの両隣の人は二人とも「大丈夫です」だと。はあっ???「大丈夫」? どういう意味だ? ちょっと前に会社の25歳ぐらいの女の子としゃべっているときもこの言葉がこのような場面で出てきて違和感を感じたことがあった。それと同じ。お前それって、いるかいらねえか訊いてる答えになっていねえだろ、って感じ。

語尾を上げて同意を求めるような感じでしゃべるとか、はっきりと拒否の意思表示をしない表現とか、流行のようだ。いらないなら、いらないと言えばいいのにな。要るときはなんと言うのだろう? たぶん「ありがとうございます」だろうな。これも流行だから。なんでもありがとうございます、と。あまり連発されると、どういう意味にとっていいかわからなくなるなる。

ありがとうの連発は、「マイナス言葉」を使わない、「プラス言葉」を使うと人生ハッピーになれると、そういう流行みたいなものにも原因があるのだと思うが、別に要らないは否定しているわけでもなんでもないので、このような場合は、その旨はっきり言えばよいのでは? まあ長く言えば「ご配慮ありがとうございます。でも私はいりません」って感じかな。それを一言で「大丈夫」と言っているとおもえばさすが日本人、って感じだが。それでも、「余計なお世話だ」「間に合ってるよ」みたいに聞こえるときもあるので、そうとられると当然逆効果だよな。

お前さん酒飲む? 落語聴く? 車乗れる? 女好き? これ食う?  「大丈夫です?」

 

城内雪と炎の祭典開催

今年も城内雪と炎の祭典開催の運びとなりました。

去年より参加箇所も増え、年々賑やかになってきました。

少し心配なのが雪の量です、なるようにしかならないのですが、その対策も少し考えておかないとと思っています。

皆様のご協力もお願いします。

 

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めずらしい富士山

1月19日、富士山名水巡りなどしてきた。雄と久さんと一緒に。源平川、柿田川はすごくきれいな水。城内の川もこんな感じで残っていたら本当によかったが。源平川なんか街の中の川だけど水きれいだし、コンクリートづけじゃないし、かなりいい。ま、でもうまさということでは、雷電様の水の方がうまかった。

それはともかく、今日26日、めずらしい富士山を撮った。ウチから見えるこんな富士山は初めてだ。赤富士というのはあるが、これは何富士といったらいいだろう? 雪におおわれた白い富士山に夕日が輪郭だけかたどった形。数分後にはすでにこの光はなし。(1枚目、2枚目)

 

DSC01694140126.jpgDSC01696140126.jpg▲1月26日。夕日の富士。1枚目と2枚目は数分の違い。

 

DSC01582 140119.jpg▲1月19日。赤富士を狙った乙女峠の早朝。6時半頃。

 

DSC01593 140119.jpg▲1月19日。富士山を鳥居の向こうに神様として祀る、駿河台という所。

 

DSC01628 140119.jpg▲1月19日。三島の源平川(げんべがわ)

 

DSC01678 140119.jpg▲1月19日。朝霧高原道の駅でかなり遅い昼(?)飯。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も天気に誘われ坂戸山

今朝早くも無く7時起床、天気予報はずれ。

快晴の城内、朝靄の中でした。

早速身支度整え、朝食のパンとポットにお湯を注ぎ山頂でのコーヒー用意し 出発。

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こんな最高の景色見ながら山頂を目指す。

今朝の冷え込みで粉雪、長靴が滑って結構苦労する。

あいにく八海山に雲がかかっていた。

尾根沿いをカンジキ無しでラッセル、深い所は腰まで埋まる、長靴に雪が入る。とても冷たい。

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足冷たくなったので下山。

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木漏れ日が杉林に降り注ぎ、雑木に付いた雪を照らしとても奇麗です。

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 12月2日、自転車での会社帰り、スカイツリーを見るとクリスマスツリーのようだった。調べてみると「ホワイトツリー」というクリスマスだけの特別のライティング名だった。もみの木にいろいろな飾りをくっつけてクリスマスを祝う、あのもみの木みたいだ。

 城内には昔クリスマスなんていう風習はほとんどなかったから、クリスマス出たての時(たぶんおれの子供時代)は、こたつに入ってミカン食うか、ちょっとハイカラになってからは切り分けた小さいケーキを食うかだった(それもあればいい方)。これもテレビの普及と現金収入の出来るようになったおかげかな。ちょっと毛色が違うが、少なくともおれの家的には七五三という風習もなかったから、こっちに来てからは都会ではいろんな行事があるもんだ、と強く感じものだった。今は麻痺してます。

 ちなみに、かの有名な「ムーミン」谷の人々は「クリスマス」を知らなかった。昔の城内人と同じような感じだったわけだ。それだけでかなりムーミンに親近感がわく。というのはおれだけか。

20131202スカイツリークリスマスバージョンズーム.jpg20131202スカイツリークリスマスバージョン.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲スカイツリークリスマスバージョン(たぶん)。右はいつもの言問橋台東区側のたもとから。水面に映るスカイツリーはフーラフラ。城内言葉でふーら!?

 

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▲これもいつもの言問橋たもとからのショット。ベムがぼやけている。

 

20131202桜橋.jpg▲言問橋たもとkじゃら見る桜橋。手前の土手の方にピントがあってしまった。

 

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▲桜橋付近から。スカイツリーと屋形船。まぶしい!!

 

 

晩秋の城内

 「ふるさと歳時記」の11月、12月を動画にしてみました。亘さんの協力をいただいて作ってみました。下記のリンクから入れます。ダウン1ファイル5分以上かかります。

↓11月

http://tomomiti.hakkaisan-photo.com/video/46-H25-11-6saijiki-11.wmv

↓12月

http://tomomiti.hakkaisan-photo.com/video/47-H25-11-11saijiki-12.wmv

11/22(土)、久しぶりに晴れであったので、自転車で晩秋の城内を廻って見た。この前の里雪もスッカリ消えて、深まった晩秋の風景であった。

(Adobe Photoshop Elements10で画質調整しました。)

スタートは新堀新田の十二神社から、欅の葉っぱがいっぱい境内に落ちていた。大きな欅の木になった。1新堀新田十二神社-1.jpg

 下新堀の神社:道路を挟んで一杯なった柿の木があった。前の作業場はなくなった。2新堀神社-2.jpg

田崎の民家と柿:水鏡に写った赤い柿の実、この場所の四季はそれぞれ気に入っている。3田崎.JPG

 法音寺:大きな一枚の自然石の石橋を渡ると境内は落ち葉が一杯であった。4法音寺-1.jpg

法音寺の亀福寺:黄色く染まった紅葉と本堂に一杯積まれたマキ。5亀福寺-3.jpg

 藤原神社:大きな欅に境内が囲まれて、紅い落ち葉が一杯敷き詰められていた。6藤原神社-1.jpg

野際の二十三夜塔と大根洗い風景7野際-1.jpg

上薬師堂の長福寺、紅葉の大きな欅と白い八海山と緑の杉林8上薬師-3.jpg

岡村の東部集落センター脇:落ち葉の中の桜と雪の八海山9岡村-1.jpg

 山口入口の黄色に染まった木と十二神社:昔はこの前を歩いて奥に行ったのかな。10山口-1.jpg

上出浦下手田んぼの中、たわわになった柿の木ここまでクマは来ないようだ。11上出浦-1.jpg

 

下出浦橋のたもと、小さな柿の実の付いた柿林12下出浦-1.jpg

 

上原薬師様の大きな紅葉の木13上原-1.jpg

 

麓の六万騎上り口、もう落ち葉が一杯であった。駐車場には何台か止まっていた。16麓六万騎-1.jpg

 

麓の地蔵尊の山側からの登り口、木々が紅葉に染まっていた。15麓地蔵尊-1.jpg

麓の真淨寺前の柿の木、太良兵衛の二十三夜塔もある14真浄寺-1.jpg

 

 

 

 

 

今日から小さな小さな 中手原部落を主会場に 刈取後の棚田数枚に 水を張り 明かりと灯してみました。

昼間は紅葉の逆さ八海山。

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夜は昼間充電した 太陽光パネルで明かりを灯す。

取りあえず70個ほどの 明かりを配置、八海山に向って光のロード作成。

田んぼに色とりどりの 明かりを灯す。

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将来的には1000個以上の明かりを 中手原の棚田に灯したいものです。

ソーラーなので 配置すれば撤去するまで 楽しめます。

城内の癒し空間になれば、

来年は、ハッテをかけると言う話も有るようななので。

八海山 吹き下ろし米 として ぬかガマで炊いた 美味しいコシヒカリ 豊年祭りでも出来たらいいな。

夜は、水面に灯をともし、 満点の星空を楽しむ。。。

夢は膨らみます。 

上高地・冬季閉鎖

昨日(10/28)、TBSのNスタ(夕方の二ユース番組)で3回、28日の「八海山の紅葉」風景
放映(中継か録画かは不明)されていた。 ゴンドラからの映像は今が一番の見頃の様でした。
これから城内地区を始め「里の秋」本番。 見て美しく、食べて美味しい最も楽しい季節ですね!

今回はそんな紅葉つながりで、上高地の話題をひとつ。

 

上高地・冬季閉鎖は11/15(予定)迄


   ♦ 今日29日午前9時頃の河童橋付近ライブ映像より  (五千尺ホテル様ライブカメラ)
河童橋ライブカメラ 2013.10.29(09時頃).JPG

 このライブ映像は「上高地/五千尺グループ/ライブカメラ」をキーワードに簡単に検索出来ます。

この、美しい姿も、あと2週間程で冬季閉鎖になってしまう。

 

プロローグ


私の青春時代の思い出の多くを占めた地域は、恐らく上高地を中心とする、穂高連峰~槍ヶ岳~燕岳
(通称:銀座コース)、上高地を挟んで、大滝山~常念岳~燕岳(通称:裏銀座コース)と、このエリ
アに何回足を運んだかわからない。

かと言ってロック・クライミングが出来た訳では無い。 大抵は単独行の尾根ルートであるが、季節
や天候・時間帯等で同じコースでも、全く違う風景などは何回行っても飽きることが無かった。

上高地の写真は様々なメデアで色々美しい映像が紹介されているので、ここでは「上高地公式サイト」
から一部の写真をイメージが伝わる程度に縮小して掲載し、説明に役立てたいと思います。

 なお、写真縮小は本サイト経由での著作権侵害予防の為。またサイト運営者にお断りして居ない為、
 リンクは行いません。 ご興味のある方は「上高地公式サイト」がキーワード検索でご覧頂けます。
 当然の事ですが、「公式サイト」なら下記写真を含み綺麗な上高地の写真を色々見る事が出来ます。

   ♦ 河童橋からの穂高連峰と、ウエストン碑付近からの六百山~霞沢岳  (秋風景)
上高地(640×252).jpg

   ♦ 上高地・穂高連峰周辺地図 (少しサイズが大きいので拡大してご覧下さい)
上高地・穂高周辺地図.jpg

 

ジャンダルム


河童橋からの写真のほゞ中央に一番高く見えるピークの右にそびえる岩峰、これが【ジャンダルム】。
穂高連峰を旅するひとにとってはシンボル的岩峰である。 が、そこはまた、決して普通に誰でも気軽
に行ける領域では無い。

   ♦ 大正池付近からの奥穂高岳~天狗のコル (黄色の点線は2回目のルート)
上高地 (大正池).JPG

過去2回、その頂に立った事があるが、1回目はロッククライミングもやる穂高大好きの友人の案内で
涸沢から、ザイテングラードを登り、白出(しらだし)のコル(鞍部)に有る「奥穂・穂高岳山荘」~
ジャンダルムを往復すると言うルート。

この時の天候は穂高岳山荘(当時は「奥穂山荘」と呼んで居たと思う)から少し上、奥穂山頂へのハシ
ゴの途中から上にガス(霧)が掛かり、涸沢方向は紅葉がスッキリ見える秋晴れの日であった。
当初、晴天ならば西穂高岳へ抜ける計画だったが天候の行方に不安があり友人の判断で、ジャンダルム
往復に変更したのである。

ベテランの友人の案内もあり、また、ガスで視界が効かなかった(特に谷底がみえなかった)為恐怖心
も無く、難所と言われた「馬の背」等の岩場も難なく通過してジャンダルムの頂上に立つ事が出来た。
この日はガスは濃くなったり薄くなったりしていたが風も無く穏やかな一日で、その為ジャンダルム頂
上からは周りの景色が見えず、がっかりしながら引き返し、何事もなく穂高岳山荘へ帰着。
その代り、山荘から眺めたその日の夕焼けが、何とも言えず綺麗だった事は、忘れられない思い出とな
った。

2回目はその2年後の夏、単独行でもう一度同じルートで西穂高岳を目指した。 この時は天候(予報)
も良く、穂高岳山荘~西穂高岳を踏破する予定だった。

穂高岳山荘を出発して奥穂高岳山頂迄は予定通りだったのだが、馬の背迄来て愕然とした。
前回来た時はガスが回りの景色を覆い隠して居て友人の後ろから何気なく通った道(岩場)が、今は両側
が数百メートルも切れ落ちて、板みたいな岩が左右から押されてせり上がった様な細い所は道幅1m
も有るか無いかと言う岩場が100m近く続くでは無いか。  しかも、かなりの急傾斜。

両側に深い谷族を見ながらのナイフリッジでは、さすがに単独行で来た事を後悔したが、途中で風が吹か
ない事を祈りながら、慎重に渡ったことが思い出される。

北穂高岳から槍ヶ岳へのルートに最大の難所と言われる「大キレット/岩峰同志の間の険しい稜線鞍部」
が有るが、そこよりもこゝ馬の背は険しい様に思う。
何よりも大キレットは登山者が多いせいか【安全対策】のハシゴやクサリが随所に有り、ベテランでなく
とも慎重に行動すれば、限りなく安全に近い。
ただし、アプローチは長いし天候や体調に依っては自然が牙を剥く領域。
一方、こちら西穂高岳に向かうルートはベテランの領域とされて居たせいか、奥穂高岳・山頂からは、ク
サリやハシゴ等の設備は当時(約40年近く前)殆んど無かった。

そんな領域に、自分も入れると過信して居た事も忘れ、ジャンダルムも無事通過して、上高地から見て真
正面のピーク付近で、昼食とした。
晴天での上高地や安曇野方面や焼岳・西穂高岳、飛騨の山々等を眺めながらの昼食は、まさに自然は最高
の調味料。 それとホエーブスで暖めた1杯のコーヒー、何物にも増して美味かったなあ。

 

天狗のコル


事故はそれから約1時間後に起こった。
上の写真の黄色い点線の様に稜線上を、他の何組ものパーテーと、列を作って天狗のコルに向かって居た。
  (上高地から見て左側に向かって居たが、夏休みを利用した登山者が多かった為だ)

この下りは殆んどが急傾斜の岸壁で、、八海山であればクサリ場・ハシゴが付いている様な岸壁が連続し
て居るルートで、岩に張り付き3点支持で下るしか無い岩場。   当然、ハシゴもクサリも無い。

そこを私がほゞ2/3位天狗のコル側に下った頃、上から 「落ちたぞー!」 って、何人かの声が聞こえ
たと思ったら、数メートル離れた上高地側の岩場を、男性が滑落して行って崖下に見えなくなった。

ルートを外れてしまって居たので、その後どうなったかは分からなかったが、私の見た範囲だけでも30
~50m以上滑落しており、軽く済んでもあちこち骨折しているだろし、最悪の結果でも不思議では無い。

その後、滑落者のパーテー4人を優先通過させた後、改めて慎重に天狗のコル迄下りた。
そこには滑落者のパーテー3人が放心した様にたたずんで居た。
聞けば、リーダーが救助を求めに岳沢ヒュッテ迄先行して、彼等はゆっくりと下る事になっているとの事。
確かに、滑落者は素人が探せる様な場所に落ちたのでは無く、ベテラン(らしい)の先行連絡は正しい選
択であろう。  (当時は携帯電話など持てない時代、山小屋の非常無線に頼るしかない)

ただ、リーダー以外は登山歴が白馬・栂池と瑞牆山(山梨)・丹沢(神奈川)だけと言う。 無謀だ!
穂高以外は殆んど岩場らしい岩場の無い尾根歩きルート。 例えリーダー一人がベテランでも、いきなり
穂高の中でも最難関と言われるルートに来るなんて! ・・・ って思いながら、ハタと気が付いた。

  「そう言う私自身も五十歩百歩では無いか、私自身が滑落しても可笑しく無かったのでは?」

って事に。
そう考えたらこゝ天狗のコルから更に危険な領域を一人で行く事が無謀に思え、天狗沢を下り岳沢ヒュッ
テ(地図に依っては岳沢山荘)~上高地へのルートに変更する事にした。
  (正直、滑落者を直接見た事で気持ちが萎えてしまった事も影響して居たのかも知れません)

そんな訳で、天狗のコルから岳沢ヒュッテ経由で上高地へ下る事にした。

その後も登山は続けているが岩峰ルートしか無い領域には、単独行の山旅はした事が無い。

自分の為は勿論だが、身内はもとより友人・同僚への迷惑を考えると、無責任な行動は出来ないと思う様
になったからだ。

   ♦ 晩秋・上高地からの「岳沢ヒュッテ」 A (ズームアップ)・・・以下、数年前の撮影
上高地  2.JPG

   ♦ 晩秋・上高地からの「岳沢ヒュッテ」 B (標準)
上高地  1.JPG

   ♦ 晩秋のウエストン碑付近よりの「焼岳」
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   ♦ 大正池からの「焼岳」
上高地  4.JPG

   ♦ 焼岳山頂付近(噴煙)ズームアップ
上高地 5.JPG

   ♦ 梓川右岸(ウエストン碑の対岸付近)からの河童橋・明神岳方向
上高地  6.JPG

 

   そしてまもなく【冬季閉鎖】、来春までの長い冬、


            上高地は、限られた人しか入れない世界になる。

 

 

城内豊年ふるさと祭り無事終了。

昨日22日 慰労会有りました。

来年が少し楽しみになってきました。

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法音寺村誌 その一

祝 発刊

 10月12日(土)~14日(月)の連休に実家に行ったとき、法音寺の村の本は出来たか、と親に訊くと、あああるよ、一冊もらったとのこと。早速見せてもらった。『法音寺村誌』--なるほどこういう作りか。B5判、238ページとちょっと。並製だが、表紙は金箔押しの箱入りだ。しかも中は、基本墨1色だが折りたたみの地図を綴じ込み、これはカラーだ。なかなか凝ったつくり。

 今読み始めたところだが、中身もすごい。みんなよく調べてます。しかも考察も、なるほどと、と思うものばかり。おれにはまねできそうもありません。法音寺の村に限らず、城内の新たな歴史を切り開くものになるのでは。こんど実家に帰ったとき、寺家の屋号を調べながら改めて読んでみたい。

 私がすごいと思うのは、亘さんの「八海山のほら」もそうだが、記録からだけではわからない部分の推量というか、考察というか、その辺だ。どことどこが、こう繋がって、こうなったとか、なんて考えつかない、凡人には。

 ま、ほんとに中身の濃い歴史書ができたもんだと思う。とりあえず、今回は出来たという紹介だけにとどめておきます。法音寺の村の人たちおめでとうございます。そういえば、「新編城内郷土誌」の打上げの時、市長さんから法音寺の本くれるような話しがあったようななかったような?? いつでも受け付けてますよ~(^_^)v

疑問

 この村誌一つだけ何で?と思う事がある。奥付を見ると、発行日が「平成25年4月10日」になっていること。出来たのは9月か10月なのにどうして? 何か理由があるのでしょうか?

 

法音寺村史20131022.jpg

▲表紙題字「鈴木大嘉」とあり。「たいか」? 快秀さんと同一? 

 発行者は、法音寺歴史の会。会長 並木正弘さん、副会長 丸山博文さん、会計 内田健一さん、編集 並木新兵衛さん、民族史担当 内田弘太郎さん、古文書担当 内田忠悦さん、並木博さん、顧問 井口林蔵さん。

 序文は並木正弘さんと市長の井口一郎さんが書いています。

法音寺村史中身20131022.jpg

▲随所に綴じ込みのカラーページあり。

八海山屏風道から阿寺山へ

八海山の岸壁の紅葉見たいのと、阿寺山の草紅葉見たくて、選挙の終盤にもかかわらず、土曜日山に行って来ました。

一日中曇りでしたが、その分体力の消耗少なく何とかなりました。

6:40二合目出発→千本桧小屋10:10(少し休憩)→入道岳11:40(食事)12:00出発→1:20 阿寺山到着(草紅葉の上でコーヒータイム)→3:00広堀登山口到着→広堀、中手原散策→二合目到着3:50 

思った通り楽しい山行きでした。

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行った甲斐有りました。改めて八海山屏風道の綺麗さ実感しました。これで天気良くお日様が紅葉照らしていたら、

燃えるような景色になっていた事でしょう、

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城内は朝雲海に覆われていました。この時間8時頃も少しかかっています。

今年はナナカマドの実が真っ赤です。一番目立つ

山小屋の管理人に聴いた話だと先日の台風で、せっかくの紅葉大分葉っぱか落ちたとの事。

みぞれも降ったし。。

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八海山この日も大賑わいです。

大日岳には沢山の登山者。

このごろ、女性だけのグループも良く見かける。カラフルで紅葉に負けていない。

 

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越後駒ケ岳、

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駒ケ岳と中ノ岳、中ノ岳白いものが目立つ。

水無し渓谷残雪が有りました。

 

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入道岳より阿寺山を望む、標高1506mの山なので、中木に覆われている。

一段と綺麗に見える紅葉の場所には小さな池が有る。低木の中を歩き、山頂付近は草紅葉がきれいです。

人が余り入らないので 荒れていない。

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阿寺山へのコース

地池の先に八海山、草紅葉が良い色に焼けています。

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奥に見えるのが八海山入道岳と、八峰です。

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草紅葉の上でしばしコーヒータイム。広堀への下りに備える。

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コノハズク

 

「丑三つ時」の鳥の声

それは、先週土曜日(10/12)の深夜26時頃、って言うより日曜日(13日)の午前2時頃の事。

此処は、茨城県取手市の小貝川の、とある橋のたもとにあるマンションの10F。 川の向こうの段丘には、
かなり幅広い杉や松、雑木が混在する森の帯が続いている。
そんな自宅に、日付が変わった頃に帰宅した私は風呂に入ったり 整理したりして寝ようとしたのが午前2時
頃、ふとベランダ越しに遠くから聞こえて来た鳥の声に何とも言えない懐かしさを覚えた。 (約1時間程)

その鳴き声の録音は出来なかったが  Youtubeの似た雰囲気の鳴き声 に、リンクして置きましたので聞き
たい方はクリックしてみて下さい。

ただ、私の聞いた声は「キョッキョッキョー キョッキョッキョー ・・」と繰り返していて多少ニュアン
スが違う気がするが同じ仲間には違い無いと思う。
 

自然の声は最後に聞いてから、約半世紀?

この声を聴くのは何十年振りだろうか、子供の頃、実家の裏の方句に、このサイトの他の仲間の投稿にも
よく出て来る【こーえんばか(墓)の森】でも、夜中になるとこの鳥がよく鳴いていた。

小学校5~6年頃だったと思うが、NHKのラジオ番組で愛知県・鳳来寺の「ブッポウソウの鳴き声」
言う放送を聞く迄は誰に聞いても鳥の正体を教えてもらえず(実際は知らなかった様だ)「真夜中に鳴く
薄気味悪い鳥」とのイメージだった。  何しろ、鳴いて居る場所が 「大の大人でさえ夜は回り道して通る」
位の道路が通る深い森。 子供達にとっては  【恐ろしい森に棲む鳥】 だったからである。

ちなみに、「ブッポウソウ」 とは、「仏法僧」 と鳴く様に聞こえるとの事からの ネーミング だとか。

その放送、「ブッポウソウ鳴き声」 を聞いて以来、この声の主に対する恐怖心が消え、返って郷愁を呼ぶ
懐かしい声に変って感じられる様になったのが不思議である。

ところがこの 「ブッポウソウ」 、声の主と似ても似つかぬ別人、いやいや、別鳥である事がわかった。
しかも、それが判明したのはNHKの放送を耳にしてからおよそ20年後の事であった。

そして2013年10月12日の深夜、懐かしいその声を、故郷新潟県を離れた茨城県の自宅で聞いた。
この地に移り住んでおよそ10年になるが、今迄一度も聞いた事も無ければ話も聞いた事がない。
勿論、シーズンを問わずこの時間帯に窓を開けて仕事や読書等をしていた事は数知れず、気付かないは
ずは無いと思うのだが?

   「キョッキョッキョー キョッキョッキョー キョッキョッキョー ・・・
                 仏法僧 仏法僧 仏法僧 ・・・ 」
 ・・・ って、鳴く声を!


暗闇(くらやみ)の「法僧」の正体

自分で撮った写真が無いのでネットから見付けた写真でご紹介致します。

   ♦ 本物の 「ブッポウソウ」 (左) と、声の主 「コノハズク」 (右)・・・ネット画像
ブッポウソウ (300×210) と コノハズク (300×210).jpg

「ブッポウソウ」

   夜行性は無く、ツバメ同様南からの渡り鳥。 鳩よりも小型でトンボやセミ等の昆虫を飛翔しながら捕食。
   鳴き声は百舌鳥(モズ)などの声に近い。
   ご覧の様に綺麗な鳥で、ウォッチャーも多く最近は生態もかなり明確になって来た鳥。

 

「コノハズク」

   フクロウやミミズクの仲間であり、夜行性。 コノハズクそのものは、かなり以前から知られていたが、鳴
   き声はミミズクと似ているものと思われていたと聞く。 実際の鳴く姿が確認されたのが約30年前らしい。
   正直、検索して得られた写真群はペットが多くその為か外来種やミミズクも混在しており、約半世紀も前に
   見た事のある自然のコノハズクを探すのは難しい。
   僅かな記憶を頼りに似た写真を抽出してみましたが、間違いでしたら教えて下さい、訂正致します。


 

なお、本サイト経由の原画像の著作権侵害を予防する為にミニサイズにしてあります。
綺麗な原画像は、ブラウザの画像・キーワード検索、「ブッポウソウ」 或いは 「コノハズク」 を キーワ
ードとして検索すれば、素敵な写真を原サイズで、ご覧頂に頂けます。
 


それにしても


コノハズクの鳴く季節は「恋の季節」と聞いていたが、通常は5~7月頃。

今日は10月17日、奥日光や草津白根山他、各地の高山では初雪が降ったと言う。

半年近く季節がズレている。

地球温暖化で彼らの繁殖サイクルが変化しているのか?
もしかしたら、外来種との混血で、季節感の遺伝子調整が狂ってしまったのかな? 

 

もう一つのミステリー

そうそう、やはり子供の頃 深夜に故郷の、森(だと思うが)で時々移動しながら鳴く鳥がいた。

丁度、田畑の作業などに農耕用の牛馬を使っていた時代の子供等ならすぐに分かる声音だが、
      「ホイ ホイ」  「ホイ ホイ」
と、ふた声づつ、牛馬を操る時の掛け声に似た鳴き声で鳴く鳥が居た。

苗代の代掻きから初夏の頃だったか? この鳴き声、故郷を離れてからは一度も聞いた事が無い。

また、この鳥の話を他県でしても「知っている」と言う人に会った事が無い。
城内でも最近は聞かないと言う。
最も、牛馬が耕運機やコンバインに変わった昨今、牛馬を使った「田起こし」や「代掻き」作業も知ら
ない現代の若い世代には、鳥が鳴いても連想出来ないのだろうね!

実は鳥かどうか、見た人は居ないらしいが、昔から大人達がこの鳥の事を 【馬引き鳥】 と呼んで居た。

      「今夜も “んま”(馬)引き鳥 が鳴いてるなあ!」 ・・・ ってな具合に!

50年経って未だ正体不明、ユニークな 【馬引き鳥】 、この 「ミステリー」 解ける時があるのかな~?

 

家のまわりと八海山

久しぶりの実家の秋。家のまわりを歩いてみた。豊だな~と実感しました。ぶどうにきのこに赤とんぼに・・・と。

20131013家の裏の葡萄.jpg▲家の裏にあるぶどうの木。おれの生まれたときにはすでにあった。何にも一切手入れしていないのにすごい丈夫だ。味は巨峰やベリーA、甲州、ピオーネなどよりおいしい、と思う。形や味は甲州に似てるかも。

 

20131013家の裏のハタケシメジ.jpg▲家の裏に出ていたきのこ。ハタケシメジというのだという。食べられます。

 

20131013家の裏の赤とんぼと八海山.jpg▲赤とんぼと八海山。家の畑に作ってあったタナの竹に赤とんぼがとまっていた。

 

20131013家の裏の猫と八海山.jpg▲猫と八海山。ウチの畑を猫が歩いていた。この猫はウチ縁の下に住む野良猫の一匹。でも、えさはやっている。決まったえさしか食わないという贅沢もの。現在、総勢4匹ぐらいいる。

 

20131013城内の花火.jpg20131013城内の花火2.jpg

 

 

 

 

 

 

 

▲10月13日夜の城内の花火。昇さんの写真と比べられると、あまりにしょぼい写真ですが、とりあえずこんな花火も上がってましたということで。しだれ桜とヒトデ?

花火その2

今日も早く起きたので昨日の続きアップしてみます。

昨日は新堀新田からでしたが、今日の最初の3枚は、新堀、花火会場真正面下新堀 大の坂 さんの田んぼからです。

近かったので水面に花火が映らない、10分くらい撮って新堀新田に移動したのですが。

これがなかなかのショットでした。

上原、稲穂ヶ丘の街の灯が水面に映り、八海山のシルエット。

スキー場の山頂駅舎の灯も映り込んで、これが城内の花火かと言うような絵に成りました。

刈取後なのでわらが水面に漂い。城内花火だけの絵になっています。

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この景色見るだけで来年からの花火大会楽しみです。

来年はもう少し田んぼの水鏡増えると良いのですが。

ここからは新堀新田からの絵です。

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祭りの後、翌日水鏡無くなる前にカメラ片手にぶらぶら。これも水鏡あっての絵に成りました。

何か欲張ってしまいそうです。祭りの後1週間くらい、水を張り続け、城内の景色を映り込ませる。

紅葉が映り込んだらそれはそれで綺麗そうです。まず今年は中手原で実験。。。

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楽しいお祭りでした。

水面に映る城内花火大会

水面に映る城内花火大会です。

楽しんでください、初めての花火撮影まあこんなものでしょう。

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なかなか楽しい花火でした。これは一部です。

次回残り半分アップします。

城内花火

肌寒い花火見物でしたが十分楽しみました。

例年だと8/17のお盆の熱い時期の花火大会であったが、今年は10/13になった。稲刈りが終了して農家はホッと一息ついた時期で良い時期なのですが・・・・

この時期の夜なので、なにせ見物に缶ビールを飲んでとはいかなかった。本当にお天気に恵まれて一日楽しい行事や花火が見れて良かった。当日は同級会がありこの方も参加して遠方から来た人と交流を深めた。当日は市議選告示日であり関係者は早朝から忙しいスケジュールとなった。

今回初の試みの、田んぼに「水鏡」を作って、楽しもうの掛け声で新堀新田の通学路入口の2枚の田んぼに水を張った。一眼レフのカメラでなくて安物カメラですので、うまく撮れなかったがまあまあの写真になった。水面に映る上下対象の花火は今回が初めてである。上を向いたり下を向いたり忙しかった。

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水鏡の方の花火が色付きに写ったH25-10-13花火水鏡2.jpg

小さく写ってしまった。H25-10-13花火水鏡3.jpg

小学校グランドの桟敷席で厄年の同級生が集って花火見物H25-10-13花火グランド.jpg

厄年の人達、厚着でビールを戴く。H25-10-13花火グランド厄歳.jpg

城内商工会の出店テント、モツ煮かな。H25-10-13花火夜店1.jpg

 美味しそうだった。時間があれば食べたかった。H25-10-13花火夜店2.jpg

子供たちに人気のある夜店H25-10-13花火夜店3.jpg

開発センター駐車場から「ちょこっとハイキング」7Kmの準備体操H25-10-13公民館ハイキング1.jpg

親子が元気に泉ビレッジや藤ノ木養魚場方面にスタートした。H25-10-13公民館ハイキング2.jpg

城内豊年ふるさと祭り

取りあえず昨日の水面の花火アップします。

本当に綺麗でした。

今年は5枚の田んぼに水を張ってくれました。

来年はもっと増えるといいのですが。

地元の協力得られれば、ここでしか出来ないお祭りになります。

少しずつ皆でやっていきます。

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城内豊年ふるさと祭り

10月13日に行われる 城内豊年ふるさと祭り。

今年は城内じゅう よってたかってのお祭りに成りました。

芸能大会有り、大花火大会有り、当日お金使って ビンゴ大会参加して 景品ゲットしてください。

去年までお盆に花火上げていたのですが、今年から秋に持ってきました。

新潟県で行われる花火大会で 一番遅い方です。

今年は刈取後の田んぼに 水を張り 花火を写そうとう試行です。

余り例が無いと思います。

拡散出来ればいいのですが。

今年 大判のパンフレット 沢山用意、、、さてさてどれくらいの人が見に来てくれるか。楽しみです。

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初秋の八海山の朝焼け

今朝の八海山の朝焼け、湿度高く、気温高く、何時もと違った朝焼けです。

 

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城内でも稲刈り始まりました、だんだん歯抜けのような景色に成る。

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来週の連休稲刈り最盛期に成りそうです、台風きそうですが今の予想だと、此方は影響なさそう。

 

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梅雨草 満開です、何時見ても良い表情している。

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手入れしていない我が家の庭、

ツユクサ満開で見頃です。。。。。。

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来週の連休、近くの山に行きたいものですが。

この連休は天気も悪いので仕事三昧に成りそうです。

2013・夏の終りに

「祝! 2020 東京オリンピック招致」

誰かゞ書くだろう!   ・・・ と思って居たが、あまり遅くなっても意味が無い ・・・

やはり、「祝! 2020 東京オリンピック招致」 と言いたい
 
正直、オリンピック招致で国としてどれだけメリットがあるのか諸説のどれを信じて良いか解らないが、
総合的な「メリットとデメリット」の比較なら、やはり国益の方が大きい。
 
皆、経済効果ばかり声高に論じる風潮があるが、例え金銭面でトントンだったとしても、ワールドワイド
での日本の発言力向上に「2020 東京オリンピック」は最良のチャンスだと思う。
(勿論、これからの対応次第だが!)
 
我等の城内出身ザトペック(鉄人)達も、聖火ランナーにチャレンジかな?
最も、聖火ランナーの場合一人当たりのランニングは地域によって異なるが、平均2~3km程度になり
そうとの事なので我々の体力でも少し努力を続ければ手の届く範囲。
 (筋肉は何歳になっても鍛え直せると言います)
どうです! あと7年ありますよ! 皆さんもチャレンジして見ませんか?
 
え! 私?  私は主にTV観戦派・・・だと思う。  と、オリンピックの話題は置いといて本題に!

 

「集中豪雨」に「高温・竜巻」の夏

       --異変続きの日本列島でした--
 

「暑さ寒さも彼岸まで」 と昔の人は言いましたが、何やら昨日あたりから朝晩の冷え込みが急になった
様な感じがする。 今朝の気温はこゝ太田市で 21℃、一昨日の朝も20℃。
その前日(栃木で竜巻が有った日)までの熱帯夜は何だったんだろうか?

もう一度くらいはぶり返しそうだが、今度は冬が早くなるかも知れないと言う話も聞いた。
いずれにしても地球規模での気象変動らしい。

そんな今年でも自然は逞しい!  今年の「写真」は無いけれど、代表的な自然に触れて見よう。

 

8月の尾瀬(大江湿原)

   ♦ 下の写真、燧ケ岳手前の2つの丘の右奥丘陵地より見た、「長蔵小屋」と「尾瀬沼」方面。

     こゝは1971年12月、吹雪の為三平峠で遭難された長蔵小屋3代目・平野長靖(ちょうせい)
     氏が眠っている丘で、通称「ヤナギランの丘と呼ばれている。

     平野氏は大清水~沼山峠間の自動車道路建設計画から「自然保護活動」で尾瀬を守った事でも
     有名、
彼の活動が無かったら今頃こゝに縦割り道路が向うからこちらへ走って居た事になる。
     なお、現在では長蔵小屋の他に、環境省・ビジターセンターが併設され、ライブカメラも稼働。尾瀬・大江湿原 (長蔵小屋方向  1280×780).jpg

   ♦ 長蔵小屋近くからの「燧ケ岳」と「大江湿原」・・・上の写真とほゞ向き合った方向
         (左へ向かう道は尾瀬ヶ原・燧ケ岳方面、道なりに直進すると沼山峠迄約1時間)
尾瀬・大江湿原 (長蔵小屋方向より 1280×800).jpg

上の写真の “ヤナギラン” も今頃は綿毛の種をそよがせて居る頃だと思う。
9月はニッコウキスゲ等は種を熟成中、咲き遅れギボウシやサワギキョウ・リンドウ等と湿原の花々も
数は少なくなるが、紅葉が近い為か青や紫など色にメリハリのある花が増えて来る。

 

ビーナスライン/8月

   ♦ 八島湿原 “ワレモコウ”
ワレモコウ(八島湿原 1280×700).jpg

   ♦ 扉峠付近からの “穂高連峰” 
穂高連峰(扉峠付近より、1000×500).jpg

   ♦ 美ヶ原 “マツムシソウ”
マツムシ草(美ヶ原 1280×800).jpg

 

夏の終りは秋の始まり

同じ花火は何回も見て居ると飽きるが、自然は同じ風景を2度と見せない。 だから飽きない。

高麗川(埼玉)の巾着田も恐らく例年の通り、再来週末(彼岸)の頃から一週間位が 「曼珠沙華」
の最盛期にになりそうだ。 (日高市のHPによる)

まさに 「彼岸花」 とも言われる所以である訳だ。

老婆心ではあるが、遠くからの撮影なら開花~3週間位は十分に楽しめるが、花のズームアップ 等
を多く撮影したい場合は、「咲き始めから 約一週間前後 の最盛期(出来れば午前中)」 を狙うと 、
より綺麗な写真が撮り易くなる。

咲き終えた花が多く混じってしまうと、折角撮影しても 「くすんだ花の色合い」 までが写り込んで
しまう為、折角の写真が期待した程でなくなる事がよくあるパターン。

「花も美人も、より美しい時期は限られるのが世の常」、っと言う事か。

 

初秋の城内、朝日に輝く

昨日の朝の城内、八海山をバックに刈り取りを待つ稲、

昨日の雨で稲穂に水滴が付、朝日を浴びて輝いている。これから刈り取りまでの間。

南魚沼盆地は黄金境に変わる。

9.09-50.jpg

09.09-51.jpg

09.9-52.jpg

9.09-53.jpg

09.9-54.jpg

 

もうすぐ刈り取りです。この景気も一週間くらいで見おさめ。

自宅近くの新堀からの写真です。

今日も八海山は静かに横たわっています。

白髭の八海山

八海山の美しい姿を写真で残したい、そう思う人は多いと思う。  しかし、地元に居ても中々絶好の
タイミングが捕え難いのが自然。  また折角、絶好のタイミングに巡り合ってもカメラを持って無かっ
たり場所・アングル等で、後から見直すと中々満足出来る写真にはなり難い。

そんな自然のワンチャンスを実家の兄が何年か前に捕えていた。   これは何度見ても飽きない。
私の場合PCの壁紙にもこれを導入して、他のお気に入り写真と気分次第で切り替えて楽しんでいる。

すでに「八海山のある風景」でその写真を1枚紹介していますが、私一人で楽しむだけではもったい
ない。  今回はその時の他の写真を皆さんにも楽しんで頂きたいと思い掲載いたします。

 

雨上りの「白髭八海」


チャンスは数年前の5月中旬、午後4時過ぎに 突然やって来たと言う。 城内でも比較的 標高の高い
薬師堂から上の地域では 田植え直前、この日は朝から曇りだったそうだ、 午後2時頃 雷雨が 始まり
3時~4時頃迄結構激しく降って居たとの事。 それが4時を過ぎると急速に晴れ渡り、仕事も一段落
して帰宅した兄は 早速カメラを持ってお気に入りの場所に出かけて撮ったのが これからお見せする、
一連の写真。 午後4時半頃~約1時間、雨上りの夕方の光の移り変わりをお楽しみ下さい。


   ♦ ちょっと「ヒゲ」にはバランスが取れて無い雲だが、「ヒゲ男爵」のイメージから八海山-001  (1280×855).JPG

 

    ♦ 場所を少し変えて、標準画角で、
           左端に「八海山スキー場」ロープウエイ山頂駅が見える八海山-004  (1280×767).jpg

 

    ♦ 八海山の顔 (城内・正面からの眺め)
           「清滝」・・・今は落石等で滝に近付けないが、昔は滝迄道が有った八海山-003  (1280×842).jpg

 

    ♦ 徐々に暮れゆく城内、 “暮れなずむ” と言うには少し時間が早い様だが ・・・八海山-005  (1280×810).jpg

 

残念ながら、日没迄の写真は撮って無いとの事で有った。

 

城内大運動会

優勝は下出浦、準優勝は池田原、3位は藤原でした。

8/25(日)、城内地区の大運動会が快晴の中行われた。前日の雨でグランドコンデションが悪いために、綱引きが中止になった。

それに伴って、午後の競技が午前に繰り上がって、お昼過ぎに全部終了した。

メインでもある綱引きがなくて、少しさびしかった。団塊世代はもっぱら応援席での応援であった。 しかし、毎年参加している、大玉送りは参加した。

一列に並び中間あたりに並んだ、飛んでくる大玉に手を伸ばしても、触ることもできなかった。頭の上を猛スピードで通り過ぎて行った。

今回は私の入った紅組が勝った。それでも、グランドに出て、競技に参加しただけでも、運動会の実感を味わえた。

新堀新田は8位でした。昨年は10位、4年前は優勝、次は準優勝などでしたが、今年から一歩一歩順位を上げているようです。

玉入れ 

H25-8-25城内大運動会1.jpg

新堀新田応援席H25-8-25城内大運動会3.jpg

グランド裏山からの運動会風景

H25-8-25城内大運動会4.jpg

チーム対抗リレーの応援H25-8-25城内大運動会5.jpg

チーム対抗リレー(8人)H25-8-25城内大運動会6.jpg

新堀新田応援席 選手にガンバッタコールH25-8-25城内大運動会7.jpg

競技終了と同時に撤収開始H25-8-25城内大運動会8.jpg 

総合1位の下出浦H25-8-25城内大運動会9.jpg

総合2位の池田原H25-8-25城内大運動会10.jpg

区長総代の万歳H25-8-25城内大運動会11.jpg

閉会式後のモチまきH25-8-25城内大運動会12.jpg

モチまき、去年は軽トラの上からであったが、今年は下りて撒いたH25-8-25城内大運動会13.jpg

総合順位表

H25-8-25城内大運動会14.jpg

 

 

忘れ得ぬ風景 「甲斐駒ケ岳」

私が山好きである事を知って居る古くからの友人(愛称:ダンボ)が久し振りに山岳登山のTV録画BDを
送ってくれた。 (私はBS放送は見れないので時々録画を頼んで居た事がある)

その中に、思い出深い 「甲斐駒ケ岳・黒戸尾根コース」 の番組が有った。 大感激である!

それは、当時 山を甘く見て居た私への戒めでもあり、しかしへとへとになりながらも努力して頂上に辿り着
いた時の、素晴らしい眺めは「目的を諦めない」事の喜びを教えてくれた思い出でもあった。

私がまだ20代前半、「山登りを初めて2~3年目と言う山歩きが楽しくてしょうがない」 頃の事、丹沢山
系や秩父・奥多摩エリア、尾瀬・谷川岳エリアを一通り踏破した積りになって居た時期に、山仲間に誘われ
て登った山が 「甲斐駒ケ岳」 であった。
そして、その時山頂で眺めた風景が、その後の私をアルプスの山々へと誘う切っ掛けとなったのである。

友人が送ってくれたTV録画に依って、私が登った時は天候に恵まれず山頂で一瞬しか見られ無かったあの
時の、それでも感動した光景を思い起こさせてもらった。
そこで、あの時の場面とTVの映像を重ね合わせながら黒戸尾根コースを辿ってみたいと思う。

この頃の写真などは 「阪神淡路大震災」 の際、当時関西に居た為マンション上階からの漏水(汚水)に浸か
り全部破棄した為、残念ながら今は何も残って居ない。

そこで、このブログに使用する写真は、関東地域では7月27日にTBS・BSで放送された
  「日本の名峰・絶景探訪」
と言う番組からTV画面をデジカメで切り取ると言う手法で撮影したものを利用させて頂きたいと思います。
 ※ 厳密に言えば、著作権に抵触しますが、営利目的ではないのでお許し頂けるものと思います。 が、
    もし、問題が有る様でしたらお申しつけ下さい、本ブログ全体を削除致します。

 

甲斐駒ケ岳 (標高 2,967m)

  「甲斐駒ケ岳」 : 南アルプスの一角(最北端)、昔から “信仰と修験道” の山。
            中央高速を東京から諏訪方面に向かって走ると、甲府付近から左手に山
            のピークに高い杭が立って居る様な岩が見える。  これが後述する
           「鳳凰三山」 のひとつ、地蔵ヶ岳のオベリスクと呼ばれる岩峰。
            そして、その後ろに見える異様な形をした岩峰の山が「甲斐駒ケ岳」で
            ある。
            韮崎を過ぎるとその異形は迫力を増し、昔の人ならずとも、崇高の念を
            抱かずには居られない気がする。 特に甲斐(山梨)の人々にとっては!

            最近では某酒造メーカーが「南アルプスの水」として販売している水源
            も、この駒ヶ岳山麓にある。 関東の一部ではサーバーを各家庭に置き
            定期的に水を追加する、言わば現代版「富山の薬売り方式」新ビジネス
            を始めた。  宅配業者とタイアップしたこのアイデア、 故郷活性化
            の試案 「雷電様の水ビジネス」 で私が温めていたものと殆んど同じ。
            先にやられたね! さすが甲斐の国、知恵者(山本勘助)の血(教え)
            を受け継ぐ人が多いのかな?  


  「黑戸尾根」   : 登山道は幾つか有るが、今回紹介する「黑戸尾根コース」は昔からの
             修験道コース。
             私の故郷「八海山」になぞらえれば「屏風道コース」のイメージかな?
             ただ、標高が高い分アプローチも長く、登山道三大急登のひとつに数
             えられる程 “山屋” 達には知られた難コース。
            (特に4~8合目付近はクサリ場やハシゴなどの岩場が連続する)

イメージマップ

   ♦ 広域図 (Yahoo Map より)・・・・近隣の山塊群とドライブスポット
甲斐駒ヶ岳-1.JPG

 ☆ 千丈が岳 ・・・ 甲斐駒ケ岳に隣接する一番近い百名山
 ☆ 鳳凰三山 ・・・ “ほうおうさんざん” と読み、薬師ヶ岳・観音ヶ岳・地蔵ヶ岳三峰の総称
 ☆ 白根三山 ・・・ 昔は 「白峰(はくほう)三山」 と言ってたが、白峰が「シラネ」→白根と
            変化して行ったものだろう。 (白馬:しろうま→はくば、と同様)
            こゝも、北岳・間ノ岳・農鳥岳の三峰を総称し白峰(白根)三山と言う。

 ☆ ドライブスポット

      夜叉神峠 ・・・・・ 白根三山の展望台
                 晩秋、初雪と紅葉・緑で三段染めの白根三山を狙ったカメラ
                 マンで賑わう所。  (駐車スペースは少ないので注意)
                 ただし、絶好ポイントは30分~1時間程山道を登った所。

               ※ 広河原方面へ下る人は道幅が狭いので、特に対向車に注意。

      甘利山 ・・・・・・ 全山 「つつじ」 で染まる、知る人ぞ知るつつじの名所
                 山頂駐車場から5分も歩けばつつじが出迎えてくれる、天気が
                 良ければ富士山もみえる。
                 花の季節には、鳳凰三山からわざわざこゝを経由して帰る登山
                 者達も多い。  (アプローチが長いので、登る人は少ない)

      温泉 ・・・・・・・ 新旧様々な温泉・鉱泉で楽しめる所が多い
                 芦安温泉、青木鉱泉、御座石鉱泉、桃の木温泉・・・etc.
 

   ♦ 甲斐駒ケ岳・黒戸尾根コースマップ  (カシミール3D より)
甲斐駒ケ岳・黒戸尾根.jpg

 ☆ 登山口 ・・・ 登山口は幾つか有るが、一般には尾白川渓谷沿いの “駒ケ岳神社” 口
           から登る。 八海山で言えば、城内口・八海神社が登り口と言う訳。

 ☆ 黒戸尾根 ・・・  甲斐駒ケ岳の枝尾根のピーク・黒戸山の尾根伝いに登ることから 黒戸
           尾根コースと呼ばれているらしい。

以下、TBS・BS番組 7/27放送の TV画面より ハイライト部分を!

 

「日本の名峰 絶景探訪」 より

TBS - 日本の名峰 - 002 - 甲斐駒ケ岳.JPG

TBS - 日本の名峰 - 001 - 甲斐駒ケ岳.jpg

  ♦ 4合目付近から? 「鳳凰三山」
TBS - 日本の名峰 - 003 - 甲斐駒ケ岳.jpg

TBS - 日本の名峰 - 004 - 甲斐駒ケ岳.jpg

TBS - 日本の名峰 - 005 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 刃渡り
TBS - 日本の名峰 - 006 - 甲斐駒ケ岳.jpg

TBS - 日本の名峰 - 007 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 橋 ? ・・・最も私が行った時は天候に恵まれず霧の中だったが、記憶に無い
TBS - 日本の名峰 - 008 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 八合目 (7合目の七丈小屋泊で翌朝のご来光を見る場所) 奥が甲斐駒・山頂TBS - 日本の名峰 - 009 - 甲斐駒ケ岳.JPG

   ♦ ご来光 左・雲海の中から飛び出して居る山は 「八ヶ岳連峰」
TBS - 日本の名峰 - 010 - 甲斐駒ケ岳.JPG

   ♦ 八合目付近から、富士山~北岳方向
TBS - 日本の名峰 - 014 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 9合目付近から山頂(祠)、左「千丈ヶ岳」の稜線上に見えるのは「乗鞍岳」
TBS - 日本の名峰 - 016 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 9合目から山頂へ・・・ 正面の山は 「千丈ヶ岳」、右側遠くに「乗鞍岳」TBS - 日本の名峰 - 018 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 甲斐駒ケ岳・山頂TBS - 日本の名峰 - 019 - 甲斐駒ケ岳.jpg

TBS - 日本の名峰 - 020 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 山頂より : 白根三山 (左 「北岳」 右 「間ノ岳」 後の 「農鳥岳」 は雲の中)TBS - 日本の名峰 - 025 - 甲斐駒ケ岳.JPG

   ♦ 「富士山」 と、手前は鳳凰三山の中の 「地蔵ヶ岳」 (オベリスクが象徴的)TBS - 日本の名峰 - 024 - 甲斐駒ケ岳.JPG

   ♦ 左奥が白根三山~南アルプス、右が千丈ヶ岳の一部TBS - 日本の名峰 - 026 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 北アルプス方向TBS - 日本の名峰 - 021 - 甲斐駒ケ岳.JPG

   ♦ 穂高連峰
TBS - 日本の名峰 - 022 - 甲斐駒ケ岳.jpg

   ♦ 旅人 : 白石・・?さん (すみません最初の録画が欠けていた為、お名前は不明でした)
TBS - 日本の名峰 - 027 - 甲斐駒ケ岳.jpg

と、こゝ迄書いて来て、 ふと気が付いた。

 

エ! ・・・ 「八海山」?!

旅人の胸に記されたロゴは、「八海山」ではないか!

そこで、もう一度別の角度の画像をチェックして見付けたのが下記の写真である。

TBS - 日本の名峰 - 028 - 甲斐駒ケ岳.jpg

間違い無く 「八海山」 である。

清酒の八海山なのか、八海山スキー場のゴンドラ乗車券売り場近くの売店で見た事のあるTシャツの、延長線上の新しいウエア(土産品)なのか?

真実は分からないが、ロゴの書体などから、何か故郷との繋がりが有りそうだ。 嬉しいね!

偶然とは言え、ちょっとしたミステリーである。

 

感謝!

最後に、この番組を作られたTBS及び 制作スタッフの皆さん、他関係者の皆さんに改めて感謝致します。

この放送が無かったら、私の甲斐駒ケ岳の思い出も、私自身忘れ去ったまゝ思い出として書くことが無かった
かも知れません。

改めて、「日本の名峰 絶景探訪・甲斐駒ケ岳編」 に感謝と御礼を申し上げます。  (山﨑)

藤原神社の夏祭り

帰省中の8月15日、鎮守様(藤原神社)の祭りの準備を手伝う。

祭りの準備は、各班1年おきに担当する。今年は1、2班が担当で、その中にウチも入っている。前も手伝ったが、今回はいつもビールを飲んで酔っ払っていた気が・・・。翌日は後片付けで、やはりビールを飲みながら(?)のような感じ。

夏の祭りは、昔は8月25日におこなっていたという話しだが、おれの子供の頃にはすでに15日になっていた。ちなみに、成人式も盆にやっていた。だからみんなジーパンにTシャツのようなラフな格好がほとんどだった。面白い。

祭りの準備のときの写真をいくつか、それと祭り本番の写真を2つ。

 

藤原神社祭り準備25%1.jpg▲参道から本社を望む。

 

藤原神社祭り準備25%2幟.jpg▲神社入り口の幟。幟竿は、昔は祭りのたびに法音寺の縁の下から木の棒を担いでたてていたが、平成18年からはステンレス製。「新編城内郷土誌」によると、向かって右側の幟(写真に見えている方)には「霊気飛珠雨」と、左側の幟には「感応同電光」と書かれている。明治41年、細貝請逸の書。

 

藤原神社祭り準備25%3休憩.jpg▲境内手水場の前で休憩。手前の提灯にぶらさがっている木札を見ると、偶然にも「くーじ」だった。

 

藤原神社祭り準備25%4燈籠.jpg▲「燈籠」というのでしょうか(?)、それに字を書いているところ(書いているのはおれの父)。左にいるのは南新宅。

 

藤原神社祭り準備25%5太鼓櫓.jpg▲太鼓の櫓。

 

藤原神社祭り本番25%1.jpg▲参道から。奥の方が本社。左が太鼓の櫓。踊る人はほとんどいない。昔はジロベエの人なんかよく踊っていたが。右が手水場=水祖神(雷電様の水が出てくるところ)。

 

藤原神社祭り本番25%2.jpg▲盛り上がる村のしょ。こう見ると、以外に人口が多いような気がする。ま、ほかからも来ているだろうけど。

八海山のある風景

7/26、今年初めてミンミンゼミの鳴き声を聞いた。 場所は勤務先の群馬県伊勢崎市、駅は太田市の方が近い境界地域です。
関東地方は梅雨明けが早かった割に、ミンミンゼミの出現は平年並みの様な気がする。 ニイニイゼミはかなり以前に聞いて居たのだけれど?

 

それでは本題に入りましょう。

私の 「故郷」 は新潟県南魚沼市。 その中でも 越後三山 のひとつ 「八海山」 の山懐、【城内】と呼ばれる地域(下図の〇印の所)です。

   (YAHOO! Map より)
Y-地図・魚沼全図 (丸印・城内).jpg

恐らく私に限らず同郷のほとんどの人達の幼い頃は、ウサギを追う事は無かったであろうが、カジカ(魚はカジッカとも言った、美声のカエルも同名だった)やヤマメ・イワナ・アユ、トンボにセミ・カブトムシなどを追いかけて育ち、仰ぎ見ればいつもそこには 【八海山】 がそびえていた。
当然、小・中学校共に校舎から雄大な【八海山】を仰ぎ見る事の出来る位置にある。

だから私達の小・中学校時代は 【八海山】 と共に育った、と言っても過言では有りません。 八海山の麓には【学校林】もあり、年に1回、丁度今頃の季節だったと思うが、その杉林(当時はまだ10年未満の若い低木林)の下草刈りも学校行事のひとつでした。
従って、私達に取って 「八海山」 は世界遺産になった「富士山」以上の存在だと言えます。
そんな心に刻まれた ふるさとの山 【八海山】 も、見る方向・場所・時間・季節などに依って、まったく違った表情を見せてくれる。

今回は 【八海山】 にこだわって、そんな風景を幾つか違う方向から眺めて見たいと思います。
 (これまでの投稿で使用した写真も何枚か出ますが、悪しからず、ご容赦を願います)

 

1.まずは我等が見慣れた「城内」エリアからの【八海山】


   ♦ 春の風景・・・・・田植え直前の田圃と残雪の八海山  (雨上りの夕刻:実家の兄撮影)
20040514   八海山-022.JPG

 

   ♦ 春・田起こしの頃・・・・・上の写真の季節より約3~5週間前(撮影場所も違います)
八海山 -002A 春・田起しの季節 .jpg

 

   ♦ 晩秋・・・・・八海山、初冠雪の朝
八海山 -  02B 晩秋・初雪の朝.jpg

 

   ♦ 八海山スキー場、ロープウエイ駅・駐車場からの八海山「八つ峰」
          (杉の木に絡んで咲いているのは藤の花) ・・・・・ 5月
八海山 -  005 ロープウエイ駅駐車場.JPG

 

   ♦ 八海山の山容イメージ 1  ・・・・・城内口2合目登山口の案内図八海山 -  007 2合目屏風道登山口.JPG

 

   ♦ 山容イメージ 2 八海山 -  008上原からのズーム.jpg

最近では、「八つ峰」の岩峰のみを【八海山】と勘違いされている地図(下記地図を含む)やガイドブック・ネット書き込み等が見受けられるが、我々は昔からこの山の【山容全体】を【八海山】と呼んで居た。
つまり、主要ピークで言えば左から「薬師岳」・「地蔵岳・不動岳・七曜岳・白河岳・釈迦岳・摩利支岳・剣ヶ峰・大日岳」・「入道岳」を左右に広げた裾野で支えた山容全体を【八海山】と呼び、八海山信仰のご神体となっています。 (因みに、八海山の最高地点=標高は 1,778m が公称値でその頂きは 「入道岳」 です)

なお、右に見える 「 阿寺山 」 は、八海山の裾野ですが、一般的には八海山のピークとしては数えません。
従属山群の一つとなっています。

 

   ♦ 鬼の面山(オニノツラ:左手前の山)からの八海山・・・川は八海山を源流とする「宇田沢川」八海山 -  009 上原.JPG

私達が子供の頃は左側・鬼の面の岩場に川の流れが突き当り、大きなプール(淵)を作って居て、夏休みになると毎日ここに来て、泳いだりヤマメやイワナ・カジカ(魚)を捕って遊び、夕方は鬼の面山でヒグラシが大合唱をする迄時間を忘れて遊び、夕暮れのカジカ(カエル)が鳴き始めると家路に付く。 そんな日々が思い出される。
この下流(後方)300m位の所に現在の城内中学校(昔は小学校も併設)がある。

 

2.城内エリアから離れて!

   ♦ 今回の対象エリア ・・・・・ 青い〇印が主な撮影スポット
八海山から清津峡 -B .jpg

 

  2-1 国道17号線~余川

   ♦ 「庄ノ又川」より・・・・・左:4月上旬(かなり湿度が高い)、 右:5月下旬
八海山 -  011+012 六日町 R17.jpg

   ♦ 上記右と同じ時に撮影 : ズームアップ (上越線の電車も写したかったのだが・・)八海山 -  010 六日町 R17.JPG

 

   ♦ 左:六日町インターより  右:飯綱山古墳群入口より八海山 -  014 六日町 IC と飯綱山古墳.jpg

 

   ♦ 余川、発箇峠への途中より八海山 -  015 六日町 余川.JPG

 

  2-2 魚沼スカイライン ( R253・発箇峠 ~ R353・十二峠 ) 

   ♦ 発箇峠・見晴台 (右側に展望図=下図がある)八海山 -  016 魚沼SKL・発箇峠見晴台.jpg

八海山 -  017 魚沼SKL・発箇峠見晴台.jpg

  ※ 実は、見晴台からの方向ではあるが、もっと上空からの写真ですので悪しからず。

 

   ♦ 発箇峠→枡形山山頂の少し手前より八海山 -  018 魚沼SKL・発箇峠 .jpg

 

   ♦ 魚沼スカイラインにて ・・・・・ タムシバ (別名:ニオイコブシ ・・・ 5月)
八海山 -  020 魚沼SKL.JPG

  ※ 開花して半日から1日経つと花びらに傷やシミが出来てしまう為、遠くからは綺麗に
      見えても中々満足できるアップ写真を撮らせてくれない花です。 別名の通り、素晴
      らしい香りがする。 (コブシは殆んど香りが無い)

 

   ♦ 栃窪峠より ・・・・・ 魚沼スカイライン2つ目の十字路、大沢温泉への降り口
                  (十日町側へ降りると越後水沢駅方面に出る)八海山 - 022B 魚沼SKL・栃窪峠より.JPG

  ※ 写真は4月上旬、この季節は大抵魚沼スカイラインは通行止め。 この時は、十日町
       側から入って、来た道を帰った。 (スタットレスタイヤ装着は必須条件)

 

   ♦  魚沼スカイラインにて ・・・・・ 「三つ葉アケビ」 の花 (5月)
八海山 -  021 魚沼SKL.JPG

  ※ 芸術的な、雄花・雌花が共存しているのが面白い。

 

   ♦ R353 十二峠(十二峠トンネル出口:石打側)より
               (八海山~中ノ岳~金城山) ・・・・・ 5月八海山 -  023 十二峠(トンネル).JPG

 

  2-3 石打~塩沢

   ♦ 石打花岡スキー場より
      左:守門岳~金城山の裾野  右:八海山~金城山の裾野
      (金城山の裾野の延長で一番高い所が「坂戸山」、雪渓が残っている所)
八海山 -  024+025 石打花岡スキー場.jpg

 

   ♦ 大沢温泉の上手より、・・・・・更に登ると「栃窪峠」に至る八海山 -  026 大沢.JPG

 

   ♦ 塩沢より ・・・・・ 5月
             (左手前の山の、左端のピークが「坂戸山」)八海山 -  027 塩沢沢.JPG

 

 2-4 五日町~浦佐方向からの八海山

   ※ この方向からの八海山の写真はネット上からの写真しか有りませんが、参考までに
        掲載します。

 

   ♦ 五日町スキー場より・・・「雪国ネット様・五日町スキー場ライブカメラ」より
         左:初冬の夕方、月の出   右:参議院選擧前日7/21の様子
八海山 -  028+029 (Web) 五日町スキー場.jpg

 

   ♦ 浦佐スキー場からの八海山(右)と越後駒ヶ岳(左)、中ノ岳は八海山の真後ろで見えない
       左側手前に見える駅は、上越新幹線「浦佐駅」。

     (本写真の掲載元データ喪失の為、著作権侵害でしたら削除致します、お申し出下さい)八海山 -  030 (Web) 浦佐スキー場.jpg

 

  3. 越後三山

     実は越後三山が遠くから見ると八海山に似た形に見える方向がある事を知ったのはおよそ6
     年程前の事であった。

     八方尾根で出会ったアルピニストから、越後三山が見えると言われ、カメラの倍率(MAX10
     倍)を利用して覗くと確かに三ッつのピークが寄せ集まってひとつの山の様に見えた。
     しかし、確かに三ッつの山が重なってひとつに見える事は分かるが、どれが八海山か迄は
     分からなかった。
     その人の説明では左から、 「越後駒ヶ岳」・「八海山」・「中ノ岳」  との事で、 それを聞
     いてヒラメイた、 「そうだ、十日町から見た越後三山が、その順序で並んでいた様な?」
     「今日の天気ならこれから行っても写せるのでは?」 と言う事で他の予定をキャンセルして
     十日町へ直行。

     それが、写真として実現したのが下記の写真なのだが、見ての通り「魚沼丘陵」が邪魔をし
     て芳しく無い。  とは言え魚沼丘陵が無かったとしたら手前の山が別の邪魔をするかも知
     れないのだが、それでも「越後三山」がバランス良く見える場所が有ると考えている。
     そんなビュースポットを今も探しているが、中々行くチャンスが無くなって来て現在に至っ
     てしまいました。

     もし、どなたか探し当てたら是非教えて下さい。

   ♦ 今迄に見つけたベストバランスの撮影スポットはこゝ、十日町市・鐙坂(信濃川河畔)
八海山 -  031 十日町・鐙.jpg

 

   ♦ もしかしたら、こゝのエリアにベストポジションが有るかも?Y-地図・欠ノ上から四十日.JPG

今調べて見たいエリアは上記地図の三つの丸のエリア、魚沼丘陵・笠置山周辺ではないかと思って居ます。 が、保証の限りでは有りませんので、念の為。

市境(魚沼丘陵の稜線)から東側(南魚沼市側)は急傾斜地でモロい地質です。 入られる時は、くれぐれもご注意下さい。

 

考えて見たら秋に故郷へ帰る事が極めて少なかった。 その為、秋の写真が極めて少ない事に、今回探して見て改めて気が付いた。
今回の写真に秋の風景が無い事もそんな理由からだった。 ネットからの借用も考えたが、私の主義に反するので今回は最小限に留める事にした。

その内、機会が有れば、故郷の秋・冬についても写すチャンスを作りたいと思っています。

それと、故郷のみんな! 秋・冬の景色についてはみんなの方がチャンスが多いと思うので 「ちょっと気に入った写真」 だと思うものは、是非≪見せっこ(投稿)≫し会いましょう!

7月20日(土) 同級生3人で長森山トレッキングコースに登ってきた。以前このコースが出来ていることは聞いたことがあったが登るチャンスがなかった。

地元長森の同級生が誘ってくれたので挑戦して見た。朝8時に集合して車屋脇の「山崎の鼻」からスタートした。

この「山崎の鼻」 からの登山は傾斜がなだらかなコースとなっている。私にも楽に登られた。二時間程度で頂上に着いた。早いお昼を食べて、山頂からの景色などを眺めてから下山した。下山道は少し急のところもあったがゆっくり歩いて一時間程度で降りた。今回は「六万騎山」でなくその手前の長峰口に降りた。

長峰口に降りてきてから「四季の道散策コース」を歩いた。途中で最近オープンした「八海山雪室」に立ち寄った。コーヒーをいただいて、雪室(ゆきむろ)を見学した。

「長森山トレッキングコース」と「四季の里散策コース」。

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長森車屋脇からの「山崎の鼻」登山口。

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「山崎の鼻」登山口

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昔、長森に神社が流れついたとか?

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ナメコが木にビッシリと付くと聞く。

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アンニンゴ

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ヤマユリ

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登山者の安全を見守る地蔵尊。

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登り途中から六万騎と八海山酒造を望む。

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登り途中から下出浦地区を望む。

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形の良いキノコ(名前不明)。

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頂上付近からの城内西部方面。

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頂上付近から暮坪藤原方面を望む。

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長峰登山口:少し急な所あり。

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「八海山雪室」玄関前の開花した桜の花:雪室で保存しておいたもの。

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オープンした「八海山雪室」。

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「雪室内の一千トンの雪」外から重機で運び入れた。

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「雪室」の中の蔵タンク、5タンクに原酒2000石(36万リタ―)が貯蔵されている。

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焼酎の入った樽です。地下の一定温度に寝かせてから出荷する。

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長森欅苑の大欅、樹齢1500年、近くに行くと荘厳な感じになる。

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新編城内郷土誌 発刊記念祝賀会

新編城内郷土誌記念祝賀会に参加させてもらって酔っ払ってきました。

といってもいつも酔ってますが。

祝賀会前日 7月13日

帰省したついでにドライブと写真撮り。藤原-上原ロードを走っていると気になる風景が二つ。

一つは懐かしの木の電柱。マタイムの元牛小屋の前に立っている。ちゃんと電気がついている。なぜ電気がついているのか? 必要ないだろ!

これって宮沢賢治の話しに出てくる電柱そっくり!!

もう一つは久しぶりの舗装されていない道。拡張工事か何かでたまたまこんなでこぼこ道に。

懐かしい。

 

 

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                           ▲木の電柱 藤原sと池田原の中間辺り

 

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                        ▲でこぼこ道 上は方面から池田原、藤原方面を望む

 

祝賀会 7月14日

祝賀会はホテル木の芽坂で行なわれました。井口南魚沼市長、若井南魚沼市議会議員も出席され、祝辞を述べていただきました。

貝瀬幸咲先生による「城内郷土誌」が発刊されたのが昭和35年(1960)です。「新編城内郷土誌」はそれと関係あるわけではありませんが、城内全体の歴史をまとめるという意味では、静波遺稿、城内郷土誌の系譜を継承するものであるはずです。よくこんなものが出来たものだと、編集に携わらせてもらったものとしてもちょっとした驚きであります。書いてくれる人、そしてお金を出す人という面でもいまどき大変です。次の「郷土誌」はでるのか? 出せばいいというものではないかもしれませんが、こんな一文にもならない、だれが読むyかわからないような、しかもお時間と金のかかるものを作り上げたことは本当にすごいことだと思います。そんな気持ちを感じてくれる人たちがいて、次の「郷土誌」を作ってくれたらいいなあと思います。そのときは私は死んでいないでしょうが次の郷土誌は是非とも見たい。

 

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▲郷土誌の表紙                                                      ▲郷土誌の見返し

 

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▲祝賀会参加者

 

 

 

八海山山開き(城内口)

6月30日の城内口山開き

地元に居ながら、一度も八海神社の「山開き」に行った事がなかった。今回は初めて参加して見ました。晴天に恵まれて、気分の良い体験をしました。なんと言っても火渡り行事を体験したことです。会場案内の通りに行い、ゆっくり火の中を渡り終えました。

回りの火はほぼ下火になり、炎がなくて足は熱くはなかったです。身も心も清められました。神社の中には、色々とめずらしいものが置かれていました。

手を清めてから参拝。

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境内入口のお守りのかかった大杉

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八海神社への境内からの階段。多くの信者で賑わっていた。

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八海神社、社殿入口に大きな金文字の「八海山」がある。

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八海神社にて山開き祭典・護摩祈願

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火渡り祈願の開始。

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点火後は、杉から燃え上がり黙々と白い煙が上がる。修験者は祈りを行う。

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杉は前日に伐採して段に組み立てて置く。四隅の竹竿や火渡り用の竹竿も用意する。

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一般信者があげた護摩を火の回りを囲んだ信者が手渡しで渡していき、最後に修験者が火場に投げ込み供養する。

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修験者などの先達がまず始めに渡り、その後、役員関係者、一般信者と順次渡る。清めの塩の上に立ち、ズボンの裾を捲り上げて静かに渡る。 

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火渡り終了後に、木製やぐらの上から一般信者に福餅が撒かれました。修験者代表・村山宮司・氏子代表・城内観光協会代表。福餅撒きの後で、子供達にお菓子が配られた。

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山口(旧明川新田)上村家に伝わる「子もち石」で、上村家ではこの石を大切に家の中で守り続け、多くの女性の出産を安産として見守ってきました。参拝の方法は、米約一合を石の前に供えて、自分の名前と出産予定日を言って、無事出産できるよう祈ります。その米を持ち帰り、家のご飯を炊く時に一緒に炊き、それを食べる事により、御利益があると言われてきました。

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神木が長い年月を経てめずらしい木化石になった。

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かって八海山の登山道は三ヶ所あった。しかし、現在は八海山 スキー場のロープウエー利用コースが一般的となっている。山頂まで約三時間で登れる。

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昭和30年代のものか。消防ポンプで手もみポンプであろう。二人で交互に漕ぎ、消火水は川からのバケツ 手渡しで、このタンクの中に入れたのでしょう。めずらしく貴重なものです。

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この看板右下に降りると御神体が祀られている。

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岩場が赤くなっている。鉄分が多いのかな。

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城内中学校第16回卒業生(S38)の「42才厄払い」記念碑

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八海山参道入り口左りに建立されている。初代三桝京昇と二代目の碑:京昇 の上村家は明川新田(現在の山口)から二日町へ移った。

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八海山、城内の朝

久しぶりに八海山、城内の朝です。

何回か坂戸山登ったのですが天気に恵まれず、写真撮らずに下山でした。

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塩沢方面、薄く雲がかかって何時もと違う雰囲気です。

文書角の苦手なので、写真だけになりがちです。

八海山城内口山開き

6月30日八海山城内口山開き、天気に恵まれ無事終了。

私も火渡りしてきました。今年も良い事なくても悪い事はないでしょう。

霊験新たかな八海山に守られているのですから。。。

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神霊スポット 42歳の厄払いの時先輩がたが奉納、八海神社の脇に有ります。子宝に恵まれますように。

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八海神社への参道杉並木500mくらい有ります。火渡りは杉並木の中間、催事場で行われます。

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神社の境内で城内商工会で模擬店開きました。お陰さまでほぼ完売となりました。

饅頭、赤飯、ちらしずし、お酒 霊験あらたかなお札付き。

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前日切った杉の葉に点火。煙は天高く上がります。

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この日が消えたら火渡り。

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ふみが所が悪いと結構熱いです。。

この後夕方から慰労会件、反省会で盛り上がりました。

来年は駅から旗を並べられたらいいのだが。。

30年前くらいは山開きに合わせて城内中に秦がたなびいていたのだが、何とか復活させたい。

明日城内口八海山山開き、準備の模様も写真に収めたいと思います。

城内地区としても大きな催しです。

宣伝あまりしないのでお客さん少ないです。何か手を打たないといけないのですが?

幸い今年の観光協会長さん、熱心なので少しは期待しています。

再度ポスターアップします。

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今朝の八海山の朝焼け、5分くらいと短かったが、その後守門岳方面オレンジ色に染まり、とても幻想的な世界見せてくれました。塩沢方面は、雲海に沈み真っ白な雲の下。

城内方面は雲海無し、少しさみしいような。

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滝雲が見れました、六日町大月から、五十沢方面に雲があふれて行きました。なかなか見れない光景です。

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稜線も雲に飲み込まれそうです。この標高まで雲海が広がる事はあまりありません。今朝は早起きしたかい有りました。

八海山城内口山開き

今年も6月30日に八海山城内口由真開きです。

数年前までは7月1日と決まっていたのですが、

今は6月最終の日曜日に変更されました。私も商工会に入っているので朝から手伝いです。

時間の有る方無病息災を祈って火渡りなどいかがでしょうか。八海山山開き2013.06.30.jpg

今朝の八海山2013.06.17

今朝の城内地区の朝、坂戸山より。

きょうの登山道 甘い香り漂う中登りました。

ネジキの白い花が沢山ぶら下がっている。

ヤマユリのつぼみが少しずつ膨らんできた。

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だんだん田んぼの緑が濃くなってきました。

鏡のように見えるのももう少しです。明日は雨予報、空も曇ってきました。

朝の城内

今朝の坂戸山からの城内、まだ苗が育ってないので、田んぼが鏡になり。

とっても綺麗です。朝焼け撮りたかったのですが、間に合わなかった。次回期待してください運が良かったら撮れます。

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塩沢方面 7合目くらいより

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鏡のような城内。

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八海神社の朝

八海山城内口 八海神社の朝、先日の土曜日 上越高田から同級生が3人遊びに来た。

私の実家 ペンション やまぼうし のアスパラずくし料理を食べに。。。

その時早く目が覚めたので 徒歩1分の里宮を散歩。鳥の鳴き声と木々の間から差すお日様が 神々しいような景色を見せてくれた。

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マムシクサ が大きなカマ首を持ち上げていた。

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小学生、中学生のころ 昼間も暗いこの道を一人で通る勇気が無く、明るい脇の道を通って通っていた。部活で遅くなった時は、大きな声で歌を歌いながら脇を通り過ぎた。

この神社に続く参道は県の指定林になっている。大人になった今でもよる参道の鳥居を見ると良い気持ちはしない。今はやりのパワースポットである。

「新編 城内郷土誌」から興味が湧いた新田堀に続いて、新堀新田の近くを通る石万川(こくまんごう)について辿ってみた。

昔は、通学道路の途中で渡って、コウエンバカマ?を通って通学していた。(セッカリドウとも言った)そんなに大きな巾の川でもなかった。

昭和40年代に入り土地改良事業が行われて現在の形になった。今はこの石万川は幹線排水路として重要な役目を果たしている。

田崎から始まって、法音寺からの排水、藤原川からの排水、上原新田の排水、下原、泉、泉新田などの排水路がつながっている。

昔から比べれば何倍もの排水路になっている。最後は下原新田の花水橋から泉ビレッジ脇の清水川に合流して魚野川へ出ている。

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石万川排水路には古い橋の名前柱も使われているようです。花水橋、下新橋など。

支流の千溝橋、藤原橋などはどこにあるのか全く知らなかったが歩いてみて初めて確認できた。

石万川排水路は城内の中央からの縦の排水路を扇状地の端で横断して集めている川である。新堀新田の中にもかっては3本の大きな堀が通っていた。飯島川(イイジマゴウ)、新堀(シンボリ)、田川(タゴウ)である。今は排水路として2本が生きている。

雷電様の水

 

城内藤原地区に湧き出ている雷電様の水が無くなったので汲みに行ってきた。

岩の間から出ているのだが、今では藤原神社境内まで引いているので楽になった。

車を横付け出来る。

森の中の静かなたたずまいが良いです。

大きな広葉樹はケヤキの大木です。

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この前、「新編 城内郷土誌」が手元に届きました。各集落の歴史や名所などを中心に興味深く書かれていた。その中に「新田堀(土井の堀)の由来」が書かれていた。

新田堀(しんでんぼり)と聞けば、私の住んでいる新堀新田かと思ったがそうではなかった。長森新田への堀であった。なんと今は田崎の山王様の深沢寄りの取水口から採っているが、約370年前にはこの辺に堀を掘った。三国川に堰を作って、田崎、法音寺、上原、長森、長森新田までの約三Kmの長い堀であった。

興味が湧き、今の「新田堀」を自転車で追って見た。田崎の山王様上手の取水口(分流)から始まって、

すぐ山王様の下のトンネル隧道に入り、そこから、開田の田んぼの地下を通り、千溝地区に出ていた。藤原川を通過し、上原川を通り、小学校前の伊藤屋さんの裏から地下に入り上原消防庫の脇を通って、薬師様境内に出て、サイホン方式で宇田沢川の下を通過して、暮坪に出ている。長森新田の田畑を潤おして麓へ出ている。王様  

山王様の裏のトンネル隧道は昭和年代に機戒で掘ったと聞いた。昔の新田堀の掘削に関わる、関係集落との利害関係による争いなど貴重な記録が書かれていた。今も五城土改の幹線用水路として、その役目を脈々と受け継いでいる堀である。一方、新堀新田近くを流れる石万川(こくまんごう)は土改以降、幹線排水路として残っている。新田掘上1-6.JPG

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この約三Kmの新田堀を追ってみて、昔の人達の水にかける思いがひしひしと感じる。取水口の水量に比べれば最後の麓集落の水量は微々たるものです。田植え時期は小さな水争いも多くあったことでしょう。渇水が少ない三国川水系から延々と引いた昔の人達の苦労が少しは解ったように感じた。

昔もこのサイフォン方式を使ったかは定かではない。上原の人に聞いてみたいと思っている。

 

今朝の南魚沼の朝

今朝は思ったより冷え込み朝焼けが綺麗でした。

八海山に抱かれた城内方面、手前の山が六万騎山 早春カタクリの群生地として沢山のハイカーが訪れます。奥の山は守門岳 この季節。この方向が綺麗に焼けます。

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八海山の朝焼け

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【美人】と【山菜】に惹かれて

5月19日、中々同時に休めない親友と故郷で催される【山菜会】に招かれ、日帰りで参加する事にした。

前日の天気予報では故郷(新潟県・南魚沼市)では「曇り後雨」、【山菜会】の始まるお昼頃からは雨になるかも知れない。 と、言う事なので、少し早出をして、【美人】に逢いに行こうと言う計画をたてた。
友も私も故郷を語る時、幼い時から馴染んだ春の風景には言い現わし切れない郷愁の共通点があり、雪解け・春霞・ブナの芽吹き・山菜は春の代名詞と言える。

今回は、そんな春の【山菜】に出会える事になったのだから、ついでに【美人】にも逢いに行って来ようとなった訳。 もうお気付きの方も居られるでしょうが、そう、【美人】は美人でも、芽吹いて間もない【美人林(ブナ林)】の事。

故郷の隣、十日町市(松之山)にあると言う【美人林】、親友は何回か行った事があると言うが私は一度も行った事が無かった。 でも、行って見た結果、やはり行って見て良かった。 こゝへはリピーターになりそうだ。 子供達が一緒ならバードウォッチングには最適だ。

出来れば、レコーダー持参で1~2時間定点録音をして小鳥たちの声と風の音を収録したかった。 キツツキのドラミングも日常を忘れさせてくれる。 恐らく夏の夕暮れにはヒグラシの大合唱が聴けるだろうし、秋の黄葉や晩秋の落ち葉の森も散策にはいいだろうな!

そして時間が余ったのでついでに【星峠の棚田】や信濃川河畔・「越後三山」のビュースポット【十日町・北鐙坂(きたあぶみざか)】、故郷・城内の【上原と新堀新田境界・石万川付近】から「八海山」を撮影して回り、ちょうど昼からの【山菜会】に間に合った。  と、言う行程でした。

今回は、そんな【美人林】と【山菜】に惹かれてのワンデー・ドライブを中心に書いて見たいと思います。

 

 

【美人林】

 

今回の主役はその名の通り【美人林】と呼ばれるブナ林で、白神山地や岩木山・北海道などではもっと大木が林立するブナ林を見た事があるが、これだけ身近で気軽に行けるブナ林で、これだけの規模と優美さを兼ね備えた所は、多分数少ないだろう。
「どこが?」 と、問われても表現出来ないが、太平洋側とは何かが違う、雪国の愛着の有るブナ林である。

 

   ♦ 【美人林】 入口
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   ♦ 【美人林】 散策
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2013.05.19 U - 022 美人林.jpg

木漏れ日の中、時折聞こえるキツツキのドラミングと小鳥たちの綺麗な鳴き声を楽しみながらの散策は、木立ちの放つ新緑の香りと相まって心洗われるひと時だ。

 

梢でさえずって居た小鳥かどうか解らない(鳥には詳しくなくて解らない)のだが、偶然目の前の小枝に飛んで来て、すぐに飛び去った小鳥が一羽カメラに捕えられた。

   ♦ 鳥の種類等不明 ・・・ 尾羽が長く、雀位か少し大きい?
     (ムクドリよりもかなり小さくスリム、逆光気味な事もあるが体色は黒か灰色に見えた)
2013.05.19 A - 小鳥 【美人林】.jpg

ブナの実は鳥たちだけでなくリスや小動物~熊などをも育む。 大切に残したいエリアだと思う。

≪ 余談 ≫

美人林の入口(駐車場の所)で山菜が売られていたが、思ったよりリーズナブル。 この日はウドとワラビが大量に出ていたが、木の芽(アケビの新芽)やウルイ・コゴミ・タラノ芽・コシアブラ・蕗、等々。 この後6月頃は竹の子(根曲り竹)が出る様になるとの事だった。
 ※ ゼンマイも採れるが、乾燥したものでないと売れない為観光用には出さないそうだ。

 

 

【星峠・棚田】

 

元来この地域を始め、日本各地では古代から水稲の産地が多く、棚田はどこにでも作られた。 最近まで棚田をわざわざ見に行くなど考えた事も無かったが、この【美人林】訪問の関係で集めた十日町観光協会発行のパンフレットに載っていた【星峠の棚田】写真に魅せられて、つい足が向いてしまった。

 

   ♦ 棚田の風景
2013.05.19 U - 001 星峠・棚田.jpg

 

【美人林】 を堪能した後の時刻で、かつ天気が下り坂で湿度が上がって来ていた為、覚悟はしていたが遠くが霞んでしまい、PCで少しコントラストを強調してやっと、この写真でした。(これ以上調整すると、違和感が出るでしょう)
やはり、かなり整地された棚田でしたが、春夏秋冬・日の出前後・雲のたなびき方などのタイミングに恵まれたら、いい写真になる地形でした。
ちなみに、私の感動した十日町観光協会発行のパンフレットに掲載されていた写真と同じ写真を下記掲載しますが、著作権侵害となってはいけないので、他用出来ない縮小リサイズ版です、イメージ用とお考え下さい。

星峠・棚田.JPG

なお、この写真を始め、関連棚田写真は Google などの検索サイトから「星峠」・「棚田」をキーワードに見つける事が出来ますので、写真としてはそちらのサイトでお楽しみ下さい。
 

 

 

【信濃川と越後三山】 ・・・・・ 信濃川河畔(十日町・北鐙坂付近)にて

 

   ♦ 写真左 : 河岸段丘上からの信濃川下流方向  写真右 : 同じ位置からの越後三山
2013.05.19 C【鐙坂・十日町】.jpg

上、左側の写真 「信濃川」の右岸に十日町市街地が広がり、手前に見える橋がR253号線。
写真撮影の場所は足元から30~40mの崖(河岸段丘)になり、信濃川西岸を形成している。

上、右側の写真は同地点から東正面を眺めた風景。空気が澄み切って居れば【越後三山】が良く見えるのだが、大気中の水分が増加中のこの日は残念ながら魚沼丘陵の後ろに、薄っすらとしか見えなかった。 越後三山はこの方角からが一番、三山揃ってバランス良く、美しく見える。
 ( 越後三山とは左から、「越後駒ヶ岳」・「八海山」・「中ノ岳」 )

 

   ♦ アンニンゴ(ウワミズザクラ)の花
2013.05.19 C【鐙坂・十日町】.JPG

勿論、ご存知の方が多いとは思いますが、こゝ河岸段丘上で見付けたアンニンゴ(ウワミズザクラ)が満開で、新緑や藤の花との微妙なミスマッチも絵になるかと思い、1枚。
説明不要かと思いますが、白い猫じゃらしの様な花が「アンニンゴ」の花。 この花の蕾みが白くなる前の柔らかい時期に摘んで塩漬けにしたものが、山菜のアンニンゴとして道の駅などで売られている。
(一部の地方では若い=柔かな果実も同様に塩漬けにしてアンニンゴと呼ぶらしい)

 

 

 

【八海山】 ・・・・・・ 久し振りの上原からの眺め

 

   ♦ 富士塚の南、石万川とザッポリ川の合流地点付近から
2013.05.19 C 【八海山・上原より】.jpg

天気のせいで色彩は出難かったのだが、山頂をズームアップして行ったら 「千本檜小屋」 や 「地蔵岳」 への登り道、脇にある「大きな(丸い)岩」まで良く見えた。 昔、この岩の上で、イサオが万歳してた写真が有ったっけなー。

 

 

 

【山菜会】 ・・・ 恐縮、ただただ山菜料理を「ごっつぉ」んなり
        腹いっぱい食って飲んで・・・幸せだな~ 僕かあ! (古~い!)

 

   ♦ 会場になった、地域開発センター(鬼の面=おんのつら前)からの宇田沢川
2013.05.19 C 鬼の面 【八海山・開発センター前】.jpg

こう言うコンクリートの見えない、魚たちや生態系に優しい堤防も残したいものだが、地元に暮らして居ない人間のエゴなんだろうか?

 

   ♦ 【山菜会】 献立お品書き
2013.05.19 C 【山采会メニュー】.JPG

 

   ♦ 開始前、配膳 ・・・ 参加者多数でテーブルに並ぶ形、写真はほゞ一人前のレイアウト
山菜料理の一部.jpg
 

写真の「おひたしの盛り合わせ」は右側が私の割り当て分、左は隣の人の分。 また、上のテーブルの3品は3人にひと鉢平均に盛り付けられた漬物類で、ミヤマイラクサ・蕗・ウルイ、アサヅキとアンニンゴの漬物。

この他、天ぷら(タラノ芽・フキノトウ・ウド・コシアブラ・ツルニンジン・モミジガサ)やワラビ汁、ヨモギご飯、手打ち蕎麦などが出され、他にビールや日本酒などが十二分に振舞われた。 山菜の種類は約20種類との事だが、宴が進むにつれて’(色々な料理に混入する例があり)数え切れなくて、数える事を止めた。

ヒデコ

   おひたしの盛り合わせの中に、【シオデ】 と言う山菜が有ったが、東北(特に秋田を中心)では
   【ヒデコ】 と呼ばれている。 民謡・ヒデコ節 にも歌い込まれる程ポピュラーな山菜らしい。
   我々が子供の頃は、シオデもヒデコも聞いたことも食べた記憶も無いのだが・・・・・?
   子供の頃の記憶はともかくとして、山のアスパラと言われる位で、やっぱり美味かったな~!

謎の山菜 【クタチ】

   私にとって幼い頃は良く食べた記憶があるのだが中学卒業以来、誰に聞いても明確に覚えて
   居る人に会えず、【クタチ】と言う山菜が長い間 謎の山菜であった。
   今回は改めてその【クタチ】を味わう事が出来た。 (そう、まさに記憶の味・香りだった)

古老の話と地元の通人の話を総合すると、一般に「ソバナ」と言われている「ツリガネニンジン」によく似た花を咲かせる植物とわかった。 言われて見れば、ソバナもネーミングからして食べられる植物に完するナ=菜とソバ=蕎麦で、山菜辞典などにも載っている。
ただ、なぜ【クタチ】なのか、なぜ魚沼地方の特に古老でも一部の人しか【クタチ】と言わないのか? 疑問は残るが、【クタチ】の正体がわかっただけでも大きな第一歩だ。
それにしても、ソバナなら山野草として、花も葉も良く知っていたのに50年以上山菜としての認識をして無かったなんて、気が抜けてしまうね!

城内人の絆

今回 【山菜会】 に出席させてもらって嬉しかった事は、故郷の人達がこういう絆を大切にしている事と、こう言う集まりがもう数十年続いている事を初めて知った。 これが何よりも嬉しく頼もしい気がする。
そしてもうひとつ、我が町の自然 【ギフ蝶の生息地保護】 について、熱く語り会う人達が居た事である。
感動したな~! (これも古いフレーズでした! ・・・・・・ が、気持ちは同じです)

 

 

 

【関連地図】

 

   ♦ 広域図 ・・・・・ 赤丸の中にAマークの場所が【美人林】
松之山・美人林 広域.jpg

 

 

   ♦ 十日町観光協会発行のパンフレットに載っているMAP抜粋
【美人林・星峠】 案内図.jpg

     美人林 ・・・・・・・・ B5
     星峠の棚田 ・・・・・・ A4

 

 

   ♦ 美人林・補助MAP(詳細)
松之山・美人林.JPG

  注) 森の学校キョロロの位置がもっと手前だった様に思う。 松之山松口、美人林の入口付近だった。

 

 

   ♦ 星峠の棚田・補助MAP(詳細) ・・・ ✔ マークの所
十日町・星峠.JPG

 注1.) 松代方面(右)からR403を来ると、右折場所がわかり難くトンネルまで来てしまう場合あり。
     その場合はトンネルを潜って出たらすぐ左折すると、トンネルの上を通って星峠の棚田へ行ける。

 注2.) 撮影場所を求めて未舗装の細い道に安易に車を乗り入れない事。 軽自動車のワダチを普通車
     以上の車両で辿って行こうとすると、抜けられなくなったり転落事故の元となります。

 


 

 

※ さらに、私の他のブログも読んでみたいと言う方はこちら 「♪ お暇なら来てよね!」 へアクセスを!
  (テーマごとに分類した索引です)
 

3月

 

3月です

まだ外は一面の雪野原で、見た目は真冬と変わりませんが、日ざしは日一日と強くなり、春の陽光が野山を駆け巡ります。
朝、雪面にしみが張り(アイスバーン状態になり)全世界、どこでも自由に走りまわることができます。
子供たちは道なんて関係ない、好きな所を歩いて学校に行きます。これをしみ渡りと言います。
 

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1日 

 

 

14しみわたりx.jpgしみ渡り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2日

 

 

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アッパまき


しみ渡りは危険が伴うので、行ってはいけない場所がありました。
藤原の場合――、
道から大きく外れ野際サイドに迂回すると、池田川橋の上流あたりに篤農家の畑(田んぼかもしんない)があって、そこには大量のアッパ(糞)がまいてありました。
冬の間たっぷり貯め込み、じゅうぶんに醗酵(はっこう)させたアッパです。
これをまくことによって、そこだけ早く雪が消える。消えた後、下肥になる。といった一石二鳥の効果を狙ったものですね。
うかつにそのエリアに足を踏み入れると・・・そのあまりの臭さに、
頭はクラクラ、鼻はバカになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もっと危険なのは川。
雪におおわれて、表面上は平地ですが、下はマンホール状になっていて、地下水流がある。
雪は下部から解けだし、3月になるとマンホールは日ごとに大きくなり、水量も増します。
うっかりこの上に乗って落ちたら、出場所がない。
まあ、死ぬしかないだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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3日

 

さんげつみっか(三月三日)

 

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浦佐・普光寺の祭りで通称「サンゲツミッカ」。

そもそもは、1月3日に毘沙門堂の御開帳があり、この日はたくさんの信者が集まり、そこでは施しがなされていた。

これが祭りの端で、後の時代に3月3日に移された、のだそうです。

施しとは、いってみればバラマキ。ちょうど家を新築した時のモチまきをイメージしてもらえばいいかな。弓張提灯や福モチといった縁起ものをばらまく。信者たちが、我先にとこれに群がる。

サンヨーサンヨーという声が飛び交う。漢字で書くと参与。

まく方が発するサンヨーは。(参与して)あげます、という意味。

拾う方が発するサンヨーは。(参与して)ちょうだい、というおねだり意味。

 

この掛け合いがだんだんエスカレートして堂内は、押し合いへし合いのキリモミ状態になる。

そうしているうちに人息と熱気でもうもうと湯気が立ち込め、汗だくになる。

熱いので着物を脱いで裸になる。またある者は外に飛び出し手水鉢(ちょうずばち)の中に飛び込む。

 

3月の雪国の夜である。手水鉢の水は凍てつくほどに冷たく、キンタマがちぢみあがる。

こりゃあたまらんと再度、堂内に戻り、押し合に加わり、さらにエスカレートしていく。

大昔はこのようにして行われていた。

それが時代とともにパターン化し、まず裸になり、水行して、押し合いに参加する――という今の形式になった、と聞いたことがあります(ほんとのとこは知らんけど)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また近くに国際大学ができてからは、けっこう外国人の参加者もあるらしい。

 

もうひとつ、この祭りの付きものに大ろうそくがあるのだが、その意味は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

それから、関係ないんだけれど――、

サンヨ(バラマキ)とオネダリの構図は、昭和における田中角栄とこの地方を、ちょっとだけ連想してしまいます。

そういえば、浦佐駅の玄関口に角栄さんの肖像が立っています。

 

 

 

 

 

 

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4日  

 

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ねこやなぎ

雪どけは川のほとりから始まる。

表面を覆っていた雪がなくなり、川の姿が現れると、マンサクが咲き、ネコヤナギが春を告げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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16まんさく.gifまんさく

 

豊年満作の満作、それから万作、金縷梅などの字があてられます。でも語源は「まず咲く」で、これは東北地方で「まんずさく」が訛ったものと言われています。

面白いですね、ふつうは「まず咲く」が訛って「まんず咲く」になるんだけれど、東北では「まんず咲く」が標準語だから、これが訛ると「まずさく→まんさく」になるわけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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5日

 

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けいちつ(啓蟄)

 


啓蟄とは虫が土から出てくる日ですが、魚沼地方まだ一面の雪野雪で、土そのものが顔を出していない。したがって、虫なぞ出ようがない。

「いや、おら家ではもう出てきた。ぞろぞろと」
「ほんとかよ。おらあ、昆虫好き人間だから、ぜひ見たいな。手に取って しみじみ匂いもかぎたい」
「いいとも、家へ来な。そしてたっぷり匂いをかぎな、しみじみと」

スキー宿では、乾燥室などの関係で、夜間もストーブをつけっぱなしにしておくので暖かい。
これを春の暖気と勘違いしたのか? 冬でもゾロゾロわいてくる。--ヘクサ虫が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6日 

 

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火の用心

これは子供の仕事。2人1組の輪番制。私のパートナーはとなりのカツオ。

でも小学1年の時だけだったような気がするので、昭和20年代までの習慣だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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7日

 

 

 

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花いちもんめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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8日 

 

 

 

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寒梅

 

 

 

魚沼は梅、桜、桃が一度に咲く。
でも、雪の中に咲いている梅を湯沢で見ました。
そういう種類なんだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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9日 

 

 

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かもしか

 

岩原スキー場の第3リフトを降りると、リフト番をしていたおじさんが、
「あそこにカモシカがいますよ」と、指差してくれました。
遠目ですが、山すその木の間を、ゆっくり移動していました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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10日

 

 

 

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卒業

 

 

 

3月はまた別れの月。
ずーっと一緒だった学友とも別れなければなりません。
図は、昭和30年代の卒業式。送辞(答辞かも)を読んでいるところ。
卒業式の歌は「ほたるの光」か「仰げば尊し」だったが、こんな歌も記憶にあります。

~♪年月めぐりて早ここに
  卒業証書受くる身と
  なりつる君らの嬉しさは
  そもそも何にかたとうべき

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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11日

 

 

雪さらし

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塩沢の風物詩、越後上布を雪にさらすシーン。

雪中に糸となし
雪中に織り
雪水にそそぎ
雪上に晒す

雪ありて縮あり
されば越後縮は雪と人と気力相半ばして、名産の名あり
魚沼郡の雪は縮の親といふべし

『北越雪譜』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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12日

 

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十二講

図は『城内郷土誌・貝瀬幸咲著』の表紙に載っていた昔の十二講風景。

新堀新田では今でも続いているようです。友通ページに詳しく載っています。

 

 

 

 

未だ雪の残る早朝、鎮守様に集まって、名前は忘れたがもち米をすり鉢で擂ったものを持ち寄って、お互いやり取りして食う。そんなもんでも子供としては楽しみだった(雄)。

 

懐かしいな。

子供の頃、オラしょ(家)の斜め裏がエンキョ(屋号・岡村性)で上原の鎮守様の横の家だった。
鎮守様からコウエン墓の森に向かう道の入口を挟んだ左側の家と言った方がわかり易いかな?

そのエンキョ(多分「隠居」の事とは思うが確かめた事は無い)のショが家の前の畑(オラショの真後ろ)で毎年行う行事がこれ、【十二講】だった。(最も、これが【十二講】である事を知ったのは還暦過ぎて【城内郷土誌】を見て以降だった)

雪面の畑の上に雪で祭壇を作り、祭主(エンキョの親父)が備えものとお祈りをした最後に、

 「テッジョウ(天上?)くり、ヤマ(山?)ックリ
    XXX XXX・・・何て言っているか覚えていない・・・
  スッテンドー~!」

って叫びながら天に向かって弓矢を射る姿が目に浮かぶ。 祭り事はそれで終わるのだが、

 「スッテンドー~!」と叫ぶ前の「XXX XXX・・・・」の言葉、覚えて居ないのだが、何だかかなり“H”な内容だった様な?気がする(Q)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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13日 

 

 

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一宮の市

 

ザルやミノといった生活用品、あるいはクワやカマといった農機具が、大々的に並ぶ市。
もともとは2月の初申の日に行われたそうですが、一宮神社の祭礼にあわせて、この日に変えたそうです。
魚沼では浦佐の「さんげつみっか」に次いで知れ渡っていて、この日は大沢駅から魚野川を渡って大里(中の島)にあるこの神社まで、ズラーっと人の列ができたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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14日

 

 

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 かんずり

 

妙高の風物詩 かんずりの雪さらし

秋に収穫したトウガラシをいったん塩に漬ける。
冬、これを雪の上にまいて、3~4日さらし、塩抜きをする。
このことによって尖った辛みが抜け、マイルドな味になる。

「よおし、酒のサカナにちょっと失敬しよう。なーに、数本ならわかりゃあしない」
などと、誰もいない時を見計らってポッポし(盗み)に行っても、まだ食べれない。
ここから先、かんずりになるまで3年かかるらしい。

雪さらしの後、柚子や塩を入れた糠(ぬか)床をつくり、再度漬けこむ。
かき混ぜ作業を繰り返しながら3年間寝かせる。しかるのちに初めて製品になる。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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15日 

 


うろ(穴)


川のマンホールがどんどん拡大していくころ、似たような現象が木の根元からもおこってきます。
根元の部分から雪が消え、その周囲が穴になります。これを「うろ」と言ったようです。
このころになると、雪はまるで音でも立てるように、ガサッ、ガサッと勢いよく消えていくのです。
 

 

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おやっ 陽気に誘われてウサギが出てきたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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16日 

 

 

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うさぎ

 

ウサギは、何かの気配を感じたようた。瞬転、身をひる返して走り出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょう16日は「しろう様」といい、 蚕の豊作祈願。女衆が集まって、ごっつおを食べたり、甘酒を飲んだりした。

 

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17日

 

 

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まるかけ

 

 

ヒューン、ブーメランのようなものが頭上をかすめていきました。
ウサギはうろの中に飛び込みました。
そこで死んだふりをします。ワシやタカが相手だとこれで助かるのですが、今日は相手が悪かった。なんしろ悪がしこい人間。
それでつかまってしまいました。
東北地方ではこれを「まるかけ」と呼んでいるそうですが、魚沼にもあったとiいうことは、以前どこかで入れていただいた、Qサンのコメンで初めて知りました。


以下、Qサンのコメントの引用です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まだ小学生の頃だったが春まだ浅い良く晴れた寒い朝、しんばいこんばい(凍み渡り)をして田崎の先のサクリゴウ(三国川)の河川敷・雑木林でアカッキ(枝が赤い小木)の枝を探して居たら、突然頭上を「バサバサッ」と何かが通過した。
なんだ?!  と、周りを見回すと、ミノ・笠姿の爺さんが小走りに、とある雪のウロ(穴)に駆け寄って、なんと野ウサギを掴み出した。
聞けばイカゾウ(五十沢)の猟師だとの事。
ウサギやキジ・ヤマドリなどは地上に居る時、天敵の鷹や鷲の羽音を聞くと近くのウロに飛び込んで、しばらく動かなくなる習性があるそうで、米俵の蓋を投げると鷹や鷲の羽音に似せられるのだそうだ。
そう、さっきの「バサバサ」音はこの音だったのだ。
この爺さん、かなりベテランらしく出会った時捕まえたウサギはその朝3羽目だった。
投げ方を教えてもらったが、その後の人生で一度も成功した経験は無い。
やはり投げるタイミングや投げ方にノウハウが有りそうだ。
そんな猟が出来る場所も人材も、今は昔の話になってしまったな~。(2012 12 28Q)

 

 

 

 

 

 

 

 

※余談・狸寝入り
タヌキはたいそう臆病な動物で、強いショックを受けると気絶して仮死状態になる。
これが周囲から気配を消し、外敵から身を守ることになるのだそうです。だから狸寝入りは生きのびるるための秘策。
もしかしたらウサギにもそういう傾向があるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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18日 

 

 

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なだれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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19日

 

 

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 みのむし(蓑虫)

 

形が蓑(みの)に似ていることからミノムシ。
ミノガの幼虫が周囲の木や葉の繊維を使って、繭(まゆ)のようなものを作り、その中でサナギになった(で、いいのかな? 違うかな?)。


この幼虫を飼育して、飼育箱の中に糸クズや毛糸を入れておくと、それを材料にミノを作るそうですよ。
 


みのむしの音をききにこよ 草の庵(芭蕉)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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20日 

 

 

やまびこ

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何にもない雪の原野。

まるでワンポイントアクセサリーのように、緑の繭(まゆ)が木にぶら下がっています。

風が吹くとカラカラと音を立てることからヤマビコと呼ばれています。

実はウスカビガのまゆ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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21日 

 

 

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けやき(欅)

 

南魚沼の三名木は雷(いかづち)の大けやき、薬照寺(大沢)の大かつら、法音寺(城内)の大いちょう。

これはそのうちの雷の大けやき(雷新田かもしんない)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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22日 

 

 

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はだかぎ(裸木)

 

裸木は見た目、枯れ木と変わらない。でもまぎれもなく生きています。
例えばケヤキの大木の下に行くと、あたり一面、おそろしいほどの「気」が漂っているのがわかります。

北風に吹きつけられ、雪にさらされ、それでもなお「りんとして寒に立ち向かっている」そんな感じ。
これがあればこそ春、あの息をのむような見事な新緑に変わるのでしょう。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春近し

 

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昭和30年代の上原遠景
手前に宇田沢川。左手にゴウドウ(城内製糸)。右手に城内小中学校。
Qさんから頂いた当時の写真をイラスト化してみました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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23日

 

 

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 じじいごたち

 

春分の日(秋分の日も)は太陽が真東から昇り、真西に沈む。
その沈む方向を目指してどんどん行くと――、
今の地球は、一周して元の所へ戻ってしまうけど、昔の地球は、ある所で終わった。
そして、その彼方に岸が見え、極楽浄土(ごくらくじょうど)があった。
これが彼岸。

そこには私たちの祖霊(それい・亡くなったお爺さん・お婆さん、そのまたお爺さん・お婆さん・・・)がいなさる。

「じいじごたち」とは、里帰りする祖霊たちを迎えるため、彼岸の入りに子供たちが歌った歌。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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24日 

 

 

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きりぜえ

切菜と書くのかな?
漬菜(野沢菜漬け)を細かく切って、納豆とまぶしたもの。
ご飯がいくらでも入る郷愁の味。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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25日

 

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集団就職

 

昭和39年の東京オリンピックのころがピークだったろうか? 新潟や東北の子が東京へ就職した。


まだ15歳、やはり別れがつらいのだろう。汽車の窓越しにカッカ(母親)にくっついて泣いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ふくじゅ草

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26日

 

 

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いぬのふぐり

 

ひどい名前やね。
フグリってキンタマ・・・いやキンタマ袋のことだろう。
何ちゅう・・・。
犬のキンタマブクロみたいなもん、しみじみ観察したことないからよく知らんけど。

早春をいろどるルリ色の可憐な花だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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27日 

 

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ひめおどりこ草

 

冬期間、湯沢で暮らしている私は、ちょうど単身赴任者のように、1ヶ月に1回里帰り(?)します。四日市へ戻る。
すると、日本列島は長いとつくづく感じます。
向こうはまだ雪の中ですが、こっちの日だまりには、イヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウが3点セットのように咲き、公園では(名前は英語なので分からないが)菜の花系統の園芸種が咲いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ほとけのざ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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28日 

 

 

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公園の花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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29日 

 

 

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きんりょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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30日 

 

 

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大崎菜

雪の下で、すでに緑の葉を出している野菜、城内でいうところの青菜。
大崎菜とはこの青菜のこととばかり思っていましたが、どんでもない思い込み違いでした。

青菜はたぶんナバナ系統で、花芽も食べます。
大崎菜は、野沢菜系統だそうです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あおな

aona.gifむかしは冬の間、青物野菜のない雪国でこれが食卓にのるようになると、「ああ春だなあ」と気持ちがうきうきしたもんです。
たぶん、秋に種をまくのでしょう。雪の下で発芽し、雪の下から葉が出てきます。
いわば野菜版・春一番というところですね。
もっとも、一番葉は(ちょうどキャベツの外側の葉のようなもんで)食べられませんが、数日をまたずしてどんどん葉が増えてきます。

これを青菜と称し大崎菜のこと――とばかり思っていたのですが、どうやら私の思い込み違いで、
ナバナが正解のようです。
たしかホウレンソウも同じような作り方(秋まき)をした、と記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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31日 

 

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浜千鳥

大正6年、若き日の鹿島鳴秋氏が、柏崎の友人のところへふらりと遊びにきて、浦浜から番神海岸を歩いた時、ポケットから手帳を取り出し書きつけたのが、この浜千鳥の詩だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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追加

 

 

 

 

 

ハイビスカス

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雪国では雪の中、キタンバイとやらにたかられて、さぞ往生してなさっていることでござんしょう。
ここ沖縄では、もうハイビスカスが咲いていますよ。

いやー、もう・・・
あっしのほうは女にたかられて往生しておりやす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岩っ原

 

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