「城内」と一致するもの

42才厄払い行事

5/4 恒例の42才厄払い行事が城内地区で行われた。大きな男女の御神体をトラックに積んで早朝から各地区を練り歩いた。あいにく朝から小雨が降っていたが途中からは雨があがって熱いくらいの快晴になった。

 

第44回城内中学校卒業生(S50~51生H2年度卒)が作った男女の御神体です。2m近い大きな御神体でした。1年掛けて作ったものです。     IMG_2655.jpg

朝7時に下原新田をスタートして小雨の中9時頃新堀新田集会所に到着した。ふれ太鼓が先導して先に来た。         IMG_2651.jpg

ふれ太鼓の後続に役員が続いて来た。すぐに代表が挨拶して祝いの御神酒を区民にふるまった。       IMG_2654.jpg

金銀のおそろいの御神体を後ろから見たところ。         IMG_2657.jpg

とっくりと盃に見立てた御神体で御神酒を区民にそそいで回った。            IMG_2660.jpg

御神酒を注ぐ役員も受ける区民もみんな笑顔が浮かぶ。         IMG_2663.jpg

スマートな銀ピカの女性の御神体です。台座も工夫したようですね。                IMG_2667.jpg

小雨の中ご苦労様でした。ご祝儀を少し上げました。

 

 

 

4/30 トミオカホワイト美術館に八海山倶楽部仲間3人と分館長、地域づくり協議会会長の5人が集合してスケッチ絵画の貼り替え作業をわいわい言いながら楽しく行なった。

美術館職員の女性が中心になって写真を貼ってもらった。

気になる入場者数をそれとなく聞いたら、新聞掲載の翌日は十数人の見学者が来場したと聞かされた。それを聞いて先ずはホッとした。

これから1年間の長丁場の展示であるので何か工夫しなければと考えているがなにをすればいいのか今のところ思い浮かばないでいる。

そんな中、丁度タイミングよく「城内さんぽ」コーナーの対面の壁に八海山倶楽部仲間の昇さんの写真が展示された。

主に八海山の写真であるが田んぼの水面に映った対の八海山も美しく撮られていた。 

ここには4月まで新堀新田の若井健一さんの写真が展示されていた。 

先ず、4月からの「やまびこの歌」中手原、広堀、山口のスケッチ絵を皆で剥いだ。       IMG_2591.jpg     

壁にピンで四隅を止めてあったものを抜いて行った。        IMG_2592.jpg

5月の展示地区は「しゃぼん玉の歌」長森新田と「じぞうさまの歌」麓を展示した。 じぞうさまの歌で分館長をスケッチしたのがすぐに分かった。               IMG_2593.jpg

皆で配置を考えながら、絵とコメント片を会わせながら張った。        IMG_2594.jpg

職員が水平器を絵に沿えながら縦横を確認しながら決めて行った。手なれた作業だった。   IMG_2596.jpg

5月から八海山倶楽部仲間の昇さんの写真が展示されました。    IMG_2598.jpg

ロビーに八海山の雪絵(雪形)の写真が置かれていた。 昔から語り伝えられている雪絵で農耕作業の目安となっているものもある。  IMG_2599.jpg

私の知っている「裃の武士」と大きな「ペンギン」の雪絵も追加したかった。  IMG_2600.jpg

ヒバの木? 根が長く広がって地面に出ていてめずらしかった。       IMG_2588.jpg

たまにはゆっくり時間を取って芝生のお庭で椅子に腰かけて若かりし頃を思いながら八海山をスケッチしたいものですね。    IMG_2590.jpg

5月の展示地区は長森新田、麓です。      image2.jpg

 

 

 

 

 

『場内散歩』の案内メールを、南魚沼市女子力観光プロモーションチームに送ったら、今日その返事が届いた。
※ 掲示板にそのコピーを載せておきました。

既に「女子力………」のブログでも取り上げてくれていたようだ。
又、公民館城内分館のブログでも気合の入った案内がされていた。

企画は1年間を通してのものだから、相当話題になりそう。
亘は勿論のこと、地元メンバーの心意気とご苦労のおかげです。

この「八海山倶楽部」もチョットばかり鼻が高い感じ。

高山は雪、里は満開の桜

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城内小学校のグランドの満開の桜

城内小学校のグランド の野球ネット      IMG_2286.jpg

城内小学校のグランドの遠景    IMG_2289.jpg

城内小学校のグランドからの雪の藤原山    IMG_2284.jpg

城内小学校のグランド の校庭池  カモが2羽泳いでいた。      

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藤原の満開のピンクの桜     IMG_2218.jpg

法音寺の桜                         IMG_2216.jpg

上出浦の赤と白の桜、背景に雪の山と川              IMG_2232.jpg

下出浦の桜とツバキ、後ろは冠雪の堂平山                 IMG_2223.jpg

西山の桜。ピンク色の老木であるが近づくと神の領域に入った気分になる。雪がちらついていた。    IMG_2265.jpg

4月11日は季節外れの寒さとなって山には冠雪があった。

八海山、藤原山、堂平山など周りの高山は真白くなった。

山の白さと里の桜のピンクが対照的だった。

春にしてはめずらしい景色が見れた。

                  

 

 

 

 

 

東イチゲの咲く宇田沢川

4/9  岡地区の宇田沢川から八海山を眺める。東イチゲが少し小さいが綺麗に咲いていた。春先の城内でお気に入りのスポットです。  IMG_2150.jpg

土手を下りて宇田沢川を撮る。雪融けの冷たい水が白い波を立てていき良いよく流れていた。    IMG_2151.jpg

まだら模様の残雪の八海山、雪融け水の宇田沢側、東イチゲなどの風景が見れるトットキノの場所です。IMG_2154.jpg

     

上出浦地区の宇田沢川堤防に咲く桜とスイセンです。       IMG_2157.jpg

 下出浦地区の満開の桜です。下には東イチゲが咲いていました。

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 白い花のツバキも咲いていました。IMG_2161.jpg

上原の鬼面(おんのつら)付近のスイセンの群生です。この場所もいいですね。     IMG_2147.jpg

H30年開校の統合「八海中学校」の増築建設現場です。桜が満開でした。     IMG_2146.jpg

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3/31 八海山倶楽部仲間の亘さんのイラストをトミオカホワイト美術館の受付ラウンジに展示する作業を行った。

美術館職員2名が馴れた手順で配置していった。

倶楽部仲間3名と公民館2名がこの橋の絵は何処だっけなどと言いながら配置を指示して行った。  IMG_1981.jpg

4/1から1ヶ月間、やまびこの里(広堀、中手原、山口)を展示する。     IMG_2036.jpg

タイトルの「城内さんぽ」も出来て、地域で活躍している人物もスタイルの特徴をユーモラスにとらえて描かれている。    IMG_2026.jpg 

イラストの1枚です。                                IMG_2037.jpg

今回の展示地域です。  5月は長森新田、麓です。   IMG_2030.jpg

展示前の机の上に、「八海山のほら」2冊が置いてあった。亘さんの本で公民館から借りて来た。  IMG_2028.jpg

ラウンジから白く輝いている八海山を望む。四季折々の風景がここから見れる。       IMG_1985.jpg

美術館を訪ねた人は素晴らしい八海山を見て、ここでスケッチを描いて残していく。   IMG_1991.jpg

新堀新田の若井さんの写真集が展示されていた。  IMG_1984.jpg

入口の館内案内です。    IMG_1972.jpg

美術館前の庭園です。 椅子に腰かけて八海山のスケッチ画を描くのもヨシですね。     IMG_1970.jpg

トミオカホワイト美術館の正面です。  IMG_1968.jpg

城内さんぽ ポスター

ポスターで来たのでアップします。

亘様 データ有り難う御座いました、1年間かけて展示になります。

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城内さんぽ

城内さんぽ イラストで見る城内

いよいよ4月1日から 展示になります。

亘 さん 絵有り難う御座いました。

城内全戸にチラシ配布。

思考力落ちているので 取りあえず チラシアップします。

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ほのぼのしてきます。チラシはトミオカホワイトで作ってもらいました。

遊び心ないので、、、、

 

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さかさ八海山 

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我が家の水芭蕉 見頃です。

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藤原神社 大ケヤキ

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2月20日(土)PM5時から城内開発センターで「城内弥三郎ばさ生誕地まつり」が賑やかに行われた。

浦佐の国際大学の学生が大勢参加した。

開発センター玄関に張り出されたタイトル。ネーミングがすばらしく感じた。   2-H28-2-20弥三郎ばさ15.jpg

幻想的なローソクが燃えていた。    3-H28-2-20弥三郎ばさ16.jpg

「好きです城内」のブース(店)暖かいメニューが並んでいた。4-1H28-2-20弥三郎ばさ14.jpg

おいしそうなたこ焼きです。4-H28-2-20弥三郎ばさ2.jpg

狢(むじな)汁とコンニャクを頂いた。身体が暖かくなった。5-H28-2-20弥三郎ばさ3.jpg

ウオーキングを兼ねて歩いてきた。清酒八海山と暖かい甘酒も頂いた。6-H28-2-20弥三郎ばさ4.jpg

司会のFM雪国アナウンサーの山崎マリさんです。地元上原の下駄屋さんです。狢(むじな)のメークを

施して、腰にしっぽを付けて奮闘しました。馴れていましたね。7-H28-2-20弥三郎ばさ5.jpg

狢(むじな)メーク顔が似合っていますね。前かけもいいですね。8-H28-2-20弥三郎ばさ6.jpg

麓地区に言い伝わる「弥三郎ばさ」の昔語りです。面白かった。11-H28-2-20弥三郎ばさ9.jpg

「弥三郎ばさ」の絵と「大吼(おおぼ)え大会」 鬼の面(おんのつら)に向かって今年の誓いを吼えた。国際大学の学生達。12-H28-2-20弥三郎ばさ11.jpg

弥三郎ばさに仮装した女性の大吼え声です。13-H28-2-20弥三郎ばさ10.jpg

かわいい大吼えでした。 めごいめごいですね。  15-H28-2-20弥三郎ばさ13.jpg

イベント最後に各入賞者に賞品が配られた。参加賞も一杯出された。  15-H28-2-20弥三郎ばさ14.jpg

このポスターのタイトルも良いし、顔見しりのメイク顔には親しみを感じるね。  EPSON002.jpg

 

 

市雪まつり

2月6~7日 近年にない少雪の積雪の中で南魚沼市雪まつりが規模を縮小して行われた。

降雪待ちの状態が長く続いたが結局大きな寒波もなく雪の確保は無理だった。ステージも鉄筋パイプで組み立てられた。雪上よりも足元は動きやすいようだった。これで市内3大雪まつりの一つが終わった。これから雪譜まつり、裸押合まつりと続く。3月3日まで雪がなくならないことを願う。

お六と桂姫                H28-2-6市雪まつり13.jpg

六日町大橋の愛のカブト     H28-2-6市雪まつり14.jpg

重機で大きなかまくらの作成  H28-2-6市雪まつり12.jpg

城内村大衆食堂 カジカ酒を飲みたかったが車だったので我慢した。      H28-2-6市雪まつり2.jpg

子供達が大好きなフライドポテトです。                       H28-2-6市雪まつり4.jpg

家族で五郎丸ポーズの雪だるま作りかな。        H28-2-6市雪まつり1.jpg

LEDで飾られた五郎丸ポーズの雪だるま(上の写真の完成だるま)       H28-2-6市雪まつり7.jpg

上田五十騎衆。私も一緒に撮りたかったのですが一人でしたので撮らしてもらいました。H28-2-6市雪まつり8.jpg

剣舞 「戦国の星 直江兼続」     H28-2-6市雪まつり9.jpg

郷土小千谷市生まれの演歌歌手「葉月みなみ」が新曲「おおやま桜」を歌った。H28-2-6市雪まつり10.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弥三郎ばさ 生誕地 まつり

城内冬のお祭り装いも新たに。
「弥三郎ばさ 生誕地 まつり」です。
2月20日(土)5時より城内開発センターにて
駐車場は Aコープ城内店、城内中学校、等 開発センター前道路は4時より通行止めになります。
メイクは4時から出来ます。(主催者で用意)
詳しくは添付チラシを見てください。
国際大学からも30人くらい参加、上原の居酒屋 かこみ にメイク姿で入店すると、生ビール1杯サービス その他近くの飲食店に特典交渉中!
地元の物語を聴き、山(鬼の顔)向って吠えて、メーク(チキで撮影)して、絵馬に願いを描いて、ロウソクに灯を灯し、(優秀吠え。メイクには景品有ります)
上原のメーン通りを歩き。美味しい生ビールで舌鼓。。。
冬を一緒に楽しみましょう。

 

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今日2016.01.26 久しぶりの晴れ、

天気予想では、この 城内の地も 1mくらい積もる 強い寒波だったのだが、

50cmくらいで終わった。

余りにも天気が良かったので カメラ片手に近くを散策。

裏のデッキより 巻機山を見る。

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デッキから

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鎮守様の杉の大木から雪が落ちてきて 滝のよう

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セイガイズクリの森の先に 八海山が鎮座している。

すぐ近くだが好きな風景、春になると水鏡に映りこみとても綺麗です。

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徒歩1分 八海山今日も綺麗です。

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通る車も少なく時間が止まったよう。

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朝の風景です。

 

寒風の歩け歩け風景

降る降ると天気予報は言うが一向に降ってこない毎日である。

そろっと降ってもらわないとスキー場や除雪関連の仕事がうまく回らない状態である。2月には祭りや行事が控えている。

明日あたりから山沿いにも強い寒波がやって来るとのことであるので待っている。

昔を思い出すとS55年ごろに少雪で正月には雪がなかったことがあったと思う。近頃は雪がないから歩け歩けにお天気の良い日に出掛けている。

新堀新田からたまに足を延ばして田崎、法音寺、藤原から上原へ出て2時間くらいで帰って来るコースです。

新堀新田十二神社の境内。雪は解けてなにもない状態である。1/19IMG_1196.jpg

法音寺の屋根からの落雪も少なかった。IMG_1204.jpg

法音寺の鐘楼(しょうろう)雪がなく緑の苔が鮮やかだった。  IMG_1207.jpg

新築された藤原集会所(H27)  IMG_1211.jpg

藤原集落下手の消防庫。昔の半鐘が下がっていた。  IMG_1212.jpg

藤原消防庫下手の岡村巻の墓地。中央に延命地蔵尊が建っている。石工太良兵衛31才の作。約200年前 IMG_1215.jpg

藤原を通り抜けると池田原集落センターに着く。集落下手で同級生に会った。日向ぼっこをしながら休憩した。IMG_1219.jpg

上原の城内中学校裏側の増築現場。H30.4開校予定の3校統合八海中学校。玄関は宇田沢川側からとなる。 IMG_1223.jpg

城内開発センター前の宇田沢川。雪が少ないです。春の雪融け水不足が心配です。IMG_1225.jpg

上原新田の富士塚の中の稲荷様神社です。昔は城内中からの参拝者で賑わったと言われている。IMG_1227.jpg

夕方の歩け歩けで新堀農道からの夕日に冴える八海山です。IMG_1233.jpg

  少子化現象は我等の故郷も抗し難く、近隣3校統合に伴い母校「城内中学校」を、増・改築の上、
  2018年度より新たに、統合校・【八海中学校】として発足する事になった事はご存知の方も
  多いと思う。

  今年8月末起工式が行われ、9月からはすでに整地工事などが始まっているので従来の姿を見る
  機会も少なくなりつつある昨今、我等【城中】卒業生の心の原風景とも言える学校の姿を一部で
  すが紹介しましょう。

 

桜の季節・【グラウンドからの校舎】

今年の春、何気なく撮影した城内中学校の写真ですが、今となっては来年からは姿を変えてしまう為、
【2度と見られ無くなった風景】です。

 ※ 9月から着工の新校舎が、下記写真の左奥に見える体育館(青い屋根)の手前に建つ為と、
    学校の正門が左の宇田沢川・堤防道路側に移る事で、この景観もかなり変わる事と思う。

   ◆ 2015年4月28日 (写真は複数枚の合成ですので不連続部分は悪しからず)
2015.04.28F _23 城内中学校付近より.jpg
2015.04.28F _13 B 城内中学校.jpg
2015.04.28F 28・29F _16B 城内中学校付近より.jpg

 

新な統合校は「五十沢中学校」「大巻中学校」「城内中学校」の3校で、【八海中学校】となる。

   ◆ 【八海中学校】 起工式 (南魚沼市 HPよりワンカット)
八海中学校起工式(2015.08.31).JPG

 

とは言うものゝ、我等の年代では現在の「城内中学校・校舎」も新し過ぎて馴染が無い人も多いでしょう。
と、言ってもこう言う事態は想定外だった為手持ちの写真は下記1枚しか見付からない。

   ◆ 昭和30年代(小生が中学校時代)宇田沢川対岸「暮坪山」の上から義兄が写した風景
S30年代上原 (1280×388).jpg

   ◆ 上の写真を八海山倶楽部仲間の亘氏が絵にしてくれたもの  (こちらが非常にわかり易いと思う)
S30年代の学校全景(小・中学校).jpg

    左に合同製糸の煙突が、右側に城内中学校と小学校(一部)が見える。 後に宇田沢川の
    氾濫で、手前に見えるグラウンドの大半が流失、冒頭の写真はその後に再建された学校の
    グラウンド。

   ◆ 昭和30年代写真の撮影場所  :  現代の「暮坪山」 ・・・ 頂上に杉が数本見える所
          (右奥に続く尾根の山が「鬼の面山」、宇田沢川に落ち込む崖が「鬼の面」)
2015.04.28F 暮坪から鬼の面.jpg

    3月末、南国育ちの義兄が【凍み渡り】をしたいと言うので一緒に登った時写してもらった
    写真が思いがけない記念写真となった。

    此処から見える暮坪山の斜面は、春先にカタクリが真っ先に出て、麓(集落名)の六万騎
    山に匹敵する位(?)の群落が見られた所だった。 

    最近では山が人々の生活様式の変化で (芝刈り等の手入れが無くなり) 放置された為 、
    カタクリも減り、山頂の杉迄辿り付くにはかなりの藪漕ぎを覚悟しなければならない様だ。
      (何年か前、右側杉林から登ろうと試みたが昔の杣道は雑木の藪で消えて居た)

 

☆ 出来れば何処かに年代ごとの学校・城内関連写真を集めたコーナーでもあればいいかもね!

 

 

初冬のぽかぽか陽気に誘われて親水公園や石万川付近を散策して来た。

広い新堀新田さくり親水公園を通り抜け奥の橋を渡って堤防に上がった。工業団地を見ながら通りぬけて田崎区へ出た。

田崎から始まる石万川(大排水)をぶらぶら歩きながら下って来た。晴れた日はウオーキングに出ている。

雪が降らないと困る仕事もあるから、クリスマスには白い風景をのぞみたいものです。

枯れた芝草を踏みしめて新堀新田さくり親水公園を 歩く。

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グランドゴルフのシーズンも終わって、あの賑やかさは又来シーズンまでお預けとなった。IMG_0888.jpg

三国川堤防を歩く。青い空が河に映る。IMG_0891.jpg

公園入り口脇の空き地に進出した工場建設現場。急ピッチで基礎工事が始まった。IMG_0882.jpg

その脇では砂利土砂がダンプカーで山積みされていた。IMG_0895.jpg

田崎地区からの八海山遠景。柿の木と民家。IMG_0904.jpg

田崎地区からの八海山遠景。立ち木の雪囲い。

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田崎地区からの八海山遠景。鮮やかなオレンジ色のブルト―ザーが目についた。IMG_0906.jpg

田崎地区の石万川橋。

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田崎地区の石万川橋。宮麓線ルート。IMG_0908.jpg

田崎地区の石万川橋から上流の田崎山を見る。IMG_0909.jpg

藤原川が石万川に合流する。IMG_0914.jpg

新堀新田から上原へつながる通学路にかかる第二石万川橋。IMG_0916.jpg

今回はここから下って家に戻った。たまに、下原の神社脇を通って城内診療所からセブン店に行くこともある。

 

 

秋餅会

11/22(日)、上原の地域開発センターで「城内歴史と自然を愛する会」主催の秋餅会が行われた。今回で秋餅会は2回目の参加となった。

城内に伝わる伝統料理が一杯出てきて食べきれないほどだった。一品づつ味わいながらいただいた。今回は六日町の上村印刷の上村源一さんの百歳を祝って花束贈呈が冒頭行われた。                                                                                             上村源一さんはこの会の初めから参加していた方で会の継続のために尽力されたと聞いている。                                               晩秋の暖かい日に恵まれて、玄関先でモチつきを行ってちょっぴり昔を懐かしんだ。

10月中旬の紅葉の八海山です。(倶楽部の昇さんの写真を拝借しました) H27-11-22-15_10_17-4-thumb-.jpg

ツルウメモドキを飾る。         

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会長の上村さんの挨拶です。H27-11-22IMG_0761.jpg

百歳の祝いの色紙です。

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大嶋さん、河辺さんの挨拶です。H27-11-22IMG_0765.jpg

上村さんに花束と色紙の贈呈です。H27-11-22IMG_0768.jpg

秋の伝統料理が並びました。H27-11-22IMG_0759.jpg

13品目にもなりました。  H27-11-22IMG_0830.jpg

塩ゆでの里芋ぼぼっこ

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つぼ煮もん

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むかごクルミ味噌。

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 若手とベテランでモチつきです。H27-11-22IMG_0797.jpg

 水を使わないつき方でつくのに力が必要です。H27-11-22IMG_0805.jpg

 大根おろしでちぎりモチをいただいた。つき立てで柔らかくて美味しかった。H27-11-22IMG_0808.jpg

 百歳を祝って六日町から駆け付けてくれたグループです。H27-11-22IMG_0771.jpg

 津軽甚句やお六甚句、十日町小唄などを披露した。H27-11-22IMG_0774.jpg

新舞踊のおこさ節です。コミカルな踊りで楽しかった。もう一曲、お里沢一を披露した。H27-11-22IMG_0785.jpg

途中の合間に頭の体操のお遊びの賞品です。有志の持ち寄りの新鮮な野菜です。H27-11-22IMG_0754.jpg

 頭の体操の問題です。若手のトップの方の回答です。私は勘違いして「テ」の付くものと思って回答したら全く点数にならなかった。H27-11-22IMG_0815.JPG

 

 

妙音寺白山神社

新潟日報に妙音寺の白山神社の「大きくなる石」が掲載されていた。

ミステリアス的に取り上げられていたので一度は登って拝んで来たいと思っていた。

運よく妙音寺出身の同級生に案内していただき内孫と3人で登って来た。

白山神社の御神体の大きな石H27-10-8IMG_0111.jpg

小さな石を持っていき大石に置くと年ごとに大きくなると言い伝えられている。小さい頃はこの石の周りを回られたが今は無理とのことだった。H27-10-8IMG_0119.jpg

小石を持って行き御神体に供える。H27-10-8IMG_0112.jpg

妙音寺区上手から参道を入ると林の中に水神様の手水鉢があった。清い水が流れていた。昔はスイカなどを冷やして食べたようだ。IMG_0098.JPG

手水鉢を通り過ぎると小さな社があり、その脇に小さな境内があった。猫の額ほどの広さであるが戦後の30年代に若き浪曲師・南條文若、後の三波春夫がここで興行した思い出の場所があった。 そこを過ぎると前に147段の石段が一直線に伸びている。H27-10-8IMG_0102.jpg

147の石段を休憩しながら登り切ると。今度はスギ林の中を登る。H27-10-8IMG_0104.jpg

途中の大きなブナの木に昔の子供達が刻んだサイン跡があった。H27-10-8IMG_0106.jpg

同級生が奉納した剣が飾ってあった。H27-10-8IMG_0117.jpg

この白山様は城内で一番高い場所にある神社と聞いた。ブナ林がまだ低かった頃は眼下に城内の村々が一望できた。眺めが一番素晴らしかった。北向きの斜面には山菜が一杯自生していたようだ。 H27-10-8IMG_0128.jpg

村内の中ほどから山手側に入って行くと森の中に「妙音比丘尼」”みょうおんびくに”の石碑があった。遠い昔のロマンに思いを馳せた。H27-10-8IMG_0157.jpg

城内の中でも知られていないホットスポットの一つである。地元出身の同級生の昔の話を楽しく聞きながら「大きくなる石」を拝んで来ました。

八海山の話題 「3題」

今は夏から秋への端境期(ハザカイキ)、あと数週間で紅葉シーズンに突入だ!

そんな端境期の9/1(火)、世間一般とは違うけど久し振りの休日でTVを眺めていたら、

    【“八海山”、銀座のホテルとコラボで女性客向け宿泊サービス企画!】

と言う二ユースが流れた。 (TV東京、L4 you プラス と言う二ユース番組)

2015.09.01 -002 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

2015.09.01 -003 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

そう、『八海山』は八海山でも故郷の「酒造メーカーのブランド名」の『八海山』であった。

 

 

話題 1 ・・・ 銀座で泊って、八海山を堪能(女性限定)

その『八海山』と、銀座のホテル『三井ガーデンホテル・銀座プレミア』がコラボレーション企画
として、女性客向けの宿泊サービスを始めたとの事。(2016/3末迄)

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2015.09.01 -011 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

女性ルームにはスパークリング仕立ての日本酒・八海山の他に、八海山をイメージしたデザインラベル「シャンプー、ボディソープ、洗顔クリーム等もセット」で準備してあるとの事。

それにしても、このラベルデザイン、城内育ちの私には一目で分かる、感動モノだ!(さすが、城内育ちの「八海山」目線)

霊峰・八海山(200名山のひとつ)から流れ出る「宇田沢川」の様子が簡潔にデザインされている。

参考迄に、今春の写真と見比べてみて下さい。

2015.04.28G _121 故郷の山 【八海山の春】.jpg

 霊峰・八海山から流れ、旧城内地域を貫き魚野川に流れ込む【宇田沢川 (うだぞう川)】
(雪解けの頃、今でも両岸には所処にアズマイチゲの群落が咲いていて、残したい自然だ)

 

 

 

話題 2  ・・・ 小さな旅で、八海山の岩峰

小さな旅:言う迄もなく、NHKの日曜朝8時からの自然・伝統文化などをテーマにした長寿番組。

その「小さな旅」で、この地域としては2回目の放送が有った。

1 回目は4~5年前、晩秋の八海山に2~3回目の降雪があり、里もいよいよ根雪が来ると言う、
冬直前の12月上旬、八海山麓の山口集落を中心に冬に備える為の【秋仕舞い(冬支度)】をテー
マとした【小さな旅】が放送された。  (写真はその放送のひとコマ)

 この地方には古くから、「八海山に3度雪が降ったら里にも根雪が来る」との言い伝えもある。

小さな旅・秋仕舞い.jpg

 

今回は山の上【八海山の岩峰】・・・“霊峰”と呼ばれる由来の修験道【八ツ峰】がテーマ。

取材は7月との事でしたが、地元に居る人さえも中々寄せ付けない、主稜の岩峰を辿る山旅8月
30日の放送で見せてくれました。
 山好きの私でしたが、主稜コースは2回しか行った事が無い、岩稜経験の無い人は巻道を!
   それ位、準備・体力なしでは危険なコースが続く場所。
(昨年も滑落事故2件ありとの事)

とは言え、八海山は我等に取っては『心の山』、この岩峰を晴れた日には毎日眺めながら育った山
なのである。

その山が今回の「小さな旅」で放映された。

2015.08.30 -001 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

以下、番組の進行を追って画面(TV画面写真)を抜粋して紹介しましょう。

   ◆ 登山口城内・上原付近からの八海山
2015.08.30 -011 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

   ◆ 八海山ロープウエイで4合目迄 
2015.08.30 -013 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

   ◆ 山頂駅前(4合目)登山口付近
2015.08.30 -015 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -014 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 地元のオシドリ夫婦、ご主人81歳・奥様75歳との事、歳もびっくりだが、
      12年前に仕事をリタイアして八海山登山を始め、今日で440回目との事
2015.08.30 -016 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 薬師岳(9合目)から千本檜小屋と、八ツ峰最初の地蔵岳2015.08.30 -017 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

こゝで、城内方面からの八ッ峰がどんな風に見えるかイメージして置くと参考になるでしょう。

   ◆ かってNHKドラマ『天地人』放映の頃作成した写真(拡大して見て下さい)
八海山 -  008上原からのズーム.jpg

        ※    八つ峰の最高峰「大日岳」の標高は1720m、八海山(全体)の
                 最高峰「入道岳」(大日岳の右側)の標高は、1778mです。

   ◆ 『天地人』でオープニング画面に使われた地蔵岳山頂シーン
2010 大河ドラマ 【天地人オープニング】.jpg

  主人公・直江兼続役の妻夫木聡さんが登ったと知って、一時多くの女性ファンが押し
  掛けたとの話も聞いた。(こゝ迄は容易に登る事が出来る為)

話を元に戻しましょう。

   ◆ 八ッ峰2つ目の不動岳から振り返った風景
           (手前から、地蔵岳・千本檜小屋・薬師岳)
2015.08.30 -018 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 不動岳山頂、こゝから先左奥の八ッ峰が鎖場・ハシゴが続く難所となる
2015.08.30 -020 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -019 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -005・6 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

    ◆ 摩利支岳からの下り2015.08.30 -021 八海山 (NHK・小さな旅).jpg
2015.08.30 -022 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳最後の登り
2015.08.30 -024 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳 山頂 (八ツ峰の最高峰=1,720m)2015.08.30 -030 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -032 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -031 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -034 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳からの遠望(西側:城内方向)
2015.08.30 -039 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳からの遠望(東北東側:越後駒ヶ岳~南南東側:入道岳)
2015.08.30 -041 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

 「小さな旅」はこゝ迄で、この後は巻道ルート経由で千本檜小屋迄戻り、ロープウエイ経由で下山
  したであろう事を、地蔵岳山頂で夕陽を浴び、ほら貝を吹く山伏のシーンで終わっている事が示唆
  している。

  下記【グレートトラバース 2】の 田中陽季氏 はこゝ大日岳から入道岳(大日岳下りの鎖場を下り
  れば入道岳迄岩場は無い)を経て左に見える尾根筋沿いに(途中右にカーブして)中ノ岳に行く事
  になる。
      【誤記訂正】 2015.09.15
              上記、「入道岳を経て左に見える尾根筋沿いに・・・」と書いたアンダーラインの部分
              実は尾根ひとつ間違えていましたこゝ大日岳から見えない、もうひとつ向う側の尾根
              でした。 訂正の上、お詫び致します。
          (中ノ岳へは先の五竜岳で左に分岐し少し右カーブしながら下って痩せ尾根に取り付く)

   ◆ 八海山~中ノ岳への分岐ルート (カシミール3Dより)
カシミール 八海山から五竜岳.JPG

   ◆ 関連地図(越後三山と二百名山・荒沢岳周辺・・・カシミール3Dより)
グレートトラバース2(八海山から平ケ岳1280).jpg

 

  ただ、このコースは痩せ尾根のアップダウンが続く上、アプローチが長く体力と高い登山技術 が
  求められる。
 (特に、普通の人には八海山➡中ノ岳ルートは逆ルートの1,3~1,8倍の時間が掛かると言われてる)

   単独行上級者リーダーの居ないパーテー体力の無いメンバーの居るパーテー  は入山しない事。

   特に八海山から中ノ岳方向へのルートは総合的に登りとなり天候によっては上級者でも避けるべき
   ルートになる / 越後三山を縦走するなら、越後駒ヶ岳 ⇒ 中ノ岳 ⇒ 八海山  のルートがお薦め

 

下記【グレートトラバース 2】では、「八海山」⇒「中ノ岳」⇒ 兎岳 ⇒「荒沢岳」と踏破する。
因みに荒沢岳の北側は銀山湖で、こちらの斜面は湖岸に沿って巨大な岸壁が続いている。
この屏風の様な人を寄せ付けない岸壁から幾筋もの沢が流れ出ている様を見ると、昔の人が「荒沢岳」
と名付けた事にも納得が行く。
紅葉の時期、銀山湖の湖岸を走るとひと際目立って荒々しい山肌と紅葉と湖水のコラボレーション
楽しめて美しいですよ!

 紅葉 : 9月末頃~10月15日頃迄・・今年は集中豪雨の後の為道路情報は必ず事前確認の事!

 

 

 

話題 3 ・・・ グレートトラバース 2(200名山シリーズ)

 

 ※ 9月12日(土)BSプレミアムの「第2集・東北~新潟編」で放送の予定。

          因みに、第1集は「北海道編」で放送済。 【 八海山~中ノ岳】は第2集、12日放送分に入る
             放送時間は午後9時~11時迄の約2時間。

 

   ◆ 取材風景:ブログ仲間の昇氏が投稿していたワンシーンを借用(8/3 八海山4合目にて)
15.08.02-1.jpg

 

       走者は 昨年の「日本百名山ひと筆書き~グレートトラバース1」と同じ『田中陽希』氏。

   掲載ブログ詳細は、昇page 参照 : http://hakkaisan-photo.com/non/2015/08/post-119.html

 

   NHK・BSの番組HPも参照すると、コースやこれからのスケジュールなど詳細が見られますよ!

        まだ許可を頂いて無いのでHPにリンクは差し控えますが、タイトル名とURLを下記して置きます。

                タイトル :   日本2百名山ひと筆書き~グレートトラバース2

                 URL      :    http://www.greattraverse.com/project.html

  このスケジュール表を見ると、5月29日に2百名山最北の、北海道・暑寒別岳(北海道の尾瀬と
  言う人も居る「雨竜沼(雨竜湿原)」から見るとちょうど「尾瀬ヶ原から見た至仏山」をイメージ
  させる山)をスタートして、八海山~中ノ岳は 8月3日(26及び27座目)、今日9月7日現在
  は「山梨県・乾徳山(49座目)だったそうです。  

  田中陽希氏 及び 撮影スタッフ達の 驚異的な体力・精神力に、唯々感服させられている。

川がよみがえるためには?

 今日(2015年6月13日)、『川がつくった川、人がつくった川~川がよみがえるためには~』という本をひきふね図書館から借りて読んだ。1995年発行、著者は河川工学等の専門家で新潟大学教授(当時)の大熊孝さん。発行はポプラ社。「10代の教養図書館」というシリーズの一巻だが、「大人」の行政者やダム、堤防等の設計者にも、よく読んでもらいたい内容だ。

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 著者の大熊さんは今でも新潟市に住んでいるらしい。「新潟水辺の会」の会員でもある。読んでいると、あ~この人は相当川好きだなということがわかる。おれも川好きだから。なんたっておれは名字に「河」の字が入っているし。本にはいいことがたくさん書いてある。コンクリートで固められた川が何故だめかとかダムは何故だめかとか。

 しかし、城内の河川改修などの工事はなんであんなにセンス悪いのだろうか。誰が考えたのか。市長さんや議員さん、何とかしてくれ。ライン川の岸はコンクリートを使わずに石を使っているという。テトラポットの特許はフランスの会社が持っていたもので、日本は盛んにこれをつくって特許料を払っていたが、当のフランスではそれを使っていないという、へんてこな状況。さすがセンスのいい国だ、フランスは。ピケティもいるしな。

 本に書いてあったことで、これは是非実現させてみたいと思ったのが、川を自然の形に作り直すという工法。「近自然河川工法」というのだそうだ。コンクリート漬けの川のコンクリートを剥がし、自然な蛇行をつけて瀬や淵をつくったりする工法だ。これはおれが前から思っていたことにどんぴしゃ。あの藤原のザッポリのコンクリートを剥がして昔のように適度に蛇行させて瀬や淵をつくり魚が住めるような状態にする(これなら地元土建屋も仕事ができる)。ついでにそこを売り物にして観光地にする(ゴミは持ち帰ってねということで)。で、そのまたついでに雷電様の水を売る。もちろんこの利益は地元住民が受ける。ただし、センスの悪い商売はなしだ。

 水害にはどう対処するのか、なんていう人がいるかもしれない。いや絶対いるだろうな。ま、それについてはここでは省略だ。災害にはいろいろあるから、そこらへん考えてみたらいいんでないかなとは思う。一つだけ言えば、受け入れるという選択もあるよということだ。ところで、水害や地震、雷などのすべての災害をコントロールしようとするとどうなるだろう。それが上手くいったとしても、だいたいがその状態は批判の対象になるよね。小説や映画によくあるように。『すばらしい新世界』!!だな。

 本書の最後に、河川工学の教科書で言う「川」の定義に対してこう書いてある。「川そのものはたんに水を流すだけの排水路として考えていなかったということです。だから、三面張りコンクリート護岸で川の生物の命を根絶やしにしても、ダムで物質循環を遮断しても、あまり反省する必要がなかったのかもしれません」。

 城内歴史と自然を愛する会というのが幸いあるのだからここら辺を次のテーマにしたらどうかな。

(2015年6月13日午後5時半頃ビールを飲みながら記述)

春の山菜会

5/24(日)、城内地域開発センターで恒例の有志による春の山菜会が行われました。田植え時期のピークと重なったので参加者も田植えを調整しながらの参加のようでした。

前回の秋餅会は飛び入りで参加し、主催者に御迷惑を掛けましたので、今回は事前に申込んで参加しました。

農繁期のこの時期に短期間にこれだけの種類の山菜を採るには大変な苦労があったようです。

私はこの歳になるまで山菜採りには縁がなかったが退職してからは時間も十分出来たので今年は一人で始めて入山して見た。

何処の山にゼンマイやワラビがあるのか全く見当が付かなかったが近くの山に入って見た。

初めてであったがなんとか少し採れた。一回行くと又行きたくなって何回となく行くこととなった。

手前の男ゼンマイは残して置き、採るのは奥の女ゼンマイであるが全部採らないで一部残しておくのがマナーである。IMG_8699-1.JPG

ワラビは採れればすぐに食べられますね。IMG_8858-1.JPG

山菜料理の品数が一杯で隣との区別が出来ないくらいだった。めずらしくて美味しいものばっかりだった。IMG_8819-1.jpg

春の山菜会の献立表です。IMG_8801-3.jpg

台所では主に女性達が賑やかにテキパキと料理をしていました。IMG_8794-1.jpg

てんぷらの食材の山菜です。一度名前を聞いたのだが覚えきれなかった。IMG_8806-1.jpg

会長の上村さん(下薬師堂)の挨拶です。開催日の決定に苦慮したようです。IMG_8821-1.jpg

農繁期の中であったが約30人の参加者でした。遠くは東京の参加者もありました。IMG_8822-1.jpg

床の間にはアンニンゴも活けられていました。IMG_8814-1.jpg

もう、美味しい山菜料理を思う存分にいただきました。こんなチャンスも人とのつながりのお陰だと思って感謝しています。

 

 

 

 先日、山菜採りに八海山に行った帰りに八海神社参道入り口で真新しい寄付金の立て看板が目に付いた。車を止めて写真を撮った。
 三代目の三枡京昇の顕彰碑が新たに建っていた。
 以前、このサイトで掲載したのが二代目の三枡京昇顕彰碑であった。
 説明は「新編城内郷土誌」から引用しました。

 

村山清子(三代目三枡京昇)は昭和22年に生まれ、二歳から舞台に立つ。現在は沼田に在住し五十沢、塩沢、小出、佐渡の歌舞伎保存会の指導に当たっている。去年、市民会館で歌舞伎を行ったのを見に行った。三代目が最後に挨拶をした。

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 真新しい寄付金の立て看板には同級生の名前もみられる。1-IMG_8739.jpg

二代目三枡京昇顕彰碑 六郎は三歳から舞台に立つ。養子縁組し村山六郎となる。S50年に引退公演を城内小学校山口分校のグランドで興行された。3-IMG_0370.jpg

初代三枡京昇顕彰碑 明治初期に山口(明川新田)から二日町に移住した髪結の上村家の長男清八郎として生まれた。5-IMG_0373.jpg

城内漫遊記

かねてより六万騎山のカタクリ最盛期に行って見たいと思っていたら、GW直前の4/28(火)1日だけ休みがとれる事になり友人に声を掛けたら午前11時頃迄ならOKとの事で、夜10時の仕事を終えてから自宅に帰り、深夜の関越道を走って塩沢の「道の駅・雪あかり」で仮眠、午前7時40分頃友人宅に着いた。

天気は快晴、

   ◆ 友人T氏宅の立派な桜が丁度満開だった
2015.04.28C _02 智通宅・桜(満開).jpg

 

  8:00AM、六万騎山の麓には更に2人の友人が、仕事をやりくりしてくれて同行すると言う。 感激だ!


 

六万騎山登山(と、言うより軽ハイキング)

 

   ◆ 六万騎山・登り口にて、友人一同を1枚 (T氏・M氏・N氏)
2015.04.28D _03 六万騎山.jpg

 

 登り口から足元一帯にカタクリが群生していたが、残念ながらもう殆んどが花期を終え、中には
 かなり実が成熟している物も見られて少し落胆しながら登り始めた。

 登り始めて直ぐの所で青いカタクリの花を教えてもらったが、一部を心無い人にむしり取られて
 いて、無残な姿にカメラを向ける気もしなくなった。 非常に残念な事である。
 (この青いカタクリについてはT氏のページで紹介されている

 気を取り直して登って行くと、懐かしい花々のオンパレードで落ち込んだ気持ちを癒してくれる。

 

   ◆ 登り口からの途中の花々、ニオイコブシ(タムシバ)・・・いい匂いですよ!2015.04.28D _11 六万騎山.jpg

   ◆ イワウチワ ・・・ 葉っぱの形、昔の団扇ににてません?2015.04.28D _12 六万騎山.jpg

   ◆ ユキツバキ・・・花は散り方に意味が有るらしい。 普通の椿は花全体がポトリと落ちる。
             従って昔、武士達は「首が落ちる」と、縁起をかつぎ、庭木にしなかっ
             たが、「ユキツバキ」は花びらで散るので武家の庭木に喜ばれたと言う。
2015.04.28D _15 六万騎山.jpg

 

    その他、イカリソウ・キクザキイチゲ・各種のスミレ・マンサク・ブナ 等々が競って咲き誇
    っていた。
    そして本命カタクリも、標高が上がるにつれてまだまだ健在。 最盛期は過ぎたが十二分に
    UP写真も撮れる立派な花があちこちに群生していた。

 

   ◆ 念願の【カタクリ群生】
2015.04.28D _51 六万騎山.jpg

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2015.04.28D _48 六万騎山.jpg
 


 

六万騎山・山頂展望台


   ◆ 山頂展望台にて全員で! (同行者T氏のカメラ映像)左よりT・M・N・H(小生)
六万騎山・山頂にて.jpg

   ◆ 山頂からの六日町方向、1週間前(N氏撮影)と残雪量を比較して見ました
六万騎山 から 六日町方向.jpg

    1週間前の写真(上)撮影者N氏のブログ(ここ)より借用、こちらもご覧下さい。
 

   ◆ 巻機山~魚沼丘陵枡形山・パノラマ写真(合成)
2015.04.28D _27B 六万騎山.jpg

   ◆ 山頂の案内板
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   ◆ 左上、枡形山スキー場 : 右端、五日町スキー場方向
2015.04.28D _53 六万騎山.jpg

   ◆ 六万騎山からの「八海山」2015.04.28D _43 六万騎山.jpg

 

   ◆ 六万騎山から「大崎(大和)」・「守門岳」方向
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   ◆ ブナの開花 : 春紅葉と呼ばれる要因のひとつ
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   ◆ ブナの花 : 開花して数日すると、赤い葉も・黄色い花も黄緑色に変る
2015.04.28D _39 六万騎山.jpg

 

    勿論、「春紅葉(モミジ)」はブナの開花だけでは無く、芽吹きの時や花芽が開花する直前は
    多くの植物が表皮を赤くして赤外線を集め暖める事により、成長を促す。
    それが秋の紅葉の様に山肌を赤く見せる事から「春紅葉」と呼ばれる様になったのだそうだ。

 

  さて、下山後、本来のスケジュールではトンボ返りで東京へ戻る予定だったが、あまりに快晴の天気に
  緑と残雪の山々、こんなチャンスは滅多に無い為「城内漫遊」にと予定変更をした。

 

 

城内漫遊

 

   ◆ 城内Map(Google)
六日町・城内 MAP.jpg

 

  今回は城内エリアを貫く宇田沢川に沿って遡り、八海山里宮迄を辿って見る事にした。
  まずは我等の母校、城内中学校。(我等の頃は小学校も一緒で、母校と言えばここだけ)

 

   ◆ 桜吹雪のグラウンドから
2015.04.28F _23C 城内中学校付近より.jpg

   ◆ 後の藤原山(桂山)は子供の頃良くウドやクタチ等の山菜を採りに登った山
2015.04.28F _05 城内中学校付近より.jpg

    我等が入学した頃は一学年で200人・一教室50人と言う大所帯で有ったが、少子化の波は
    故郷でも抗し難く、3年後には大牧中学・五十沢中学が統合されてここに通う事になる。

    一方、宇田沢(うだぞう)川の対岸の風景は、

   ◆ 中央の「暮坪山」~「鬼の面(おんのつら)山」が迫って来る2015.04.28F 暮坪から鬼の面.JPG

    昔は「暮坪山(中央)」も「鬼の面山(右)」も一部特別な急斜面を除き、芝刈りをして
    いた為、この季節にはどの斜面を登ってもカタクリやイワカガミ、山菜等の宝庫であった。
    最近では雑木や下草が繁茂して山菜も少なく登る人も無くなり、尾根筋でさえ登り下りが
    薮コギとなる為、大変である。

 

   ◆ 昭和30年代、3月の凍み渡りで上の写真中央・暮坪山に登り
          大杉2本が見える稜線からこちら向き(上原方向)を撮った写真
S30年代上原.jpg

 

   ◆ 上原集落開発センター前から、鬼の面・八海山方向 (宇田沢川上流)
2015.04.28G _20C 集落センター付近より.jpg

 

   ◆ 岡付近(旧・蕎麦屋付近の宇田沢川河畔・アズマイチゲの群落より)
2015.04.28G _121 岡付近より.jpg

   ◆ 左:アズマイチゲのクローズアップ 右:キクザキイチゲ (宇田沢・堤防にて)
アズマイチゲとキクザキイチゲ.jpg

  ◆ 富岡ホワイトの上流堤防、数か所で群生     ◆ 出浦(イズナ)橋下流域堤防に数株ずつ散在

 

     アズマイチゲとキクザキイチゲの花は殆んど同じで見分け難い。色も互いに白と紫がある。
     困った事に両者とも同じ様な環境に生育するので間違えやすい。
     

     見分け方は、アズマイチゲは花の下にアケビの葉の様な細長い葉が6~8枚輪状に付く
     事、キクザキイチゲの場合、葉に深い切れ込みが無数に入っている事が大きな違い。
     また、キクザキイチゲは比較的紫の花が多く(白もあるが)、アズマイチゲには紫色は
     極めて少ない。(全く無い訳では無いので、目安と思って下さい)

 

     こんな所にアズマイチゲの群落とは予想外、多分八海山の何処かの沢筋から流れ着いた
     ものが増えたものだろう。 群生は、川沿いに4~5個所確認出来た。

 

   ◆ 岡村の山際、城内の春爛漫を絵にした様な原風景
        「里には桜、山にはブナの新緑と白い残雪、所処に春紅葉」2015.04.28G _83 野際から岡付近より.jpg

   ◆ 岡村付近からの八海山2015.04.28G _120 B.jpg

 

    ここから山口の友人宅前を抜けて里宮へ
 

   ◆ 里宮(正面より)と参道(雪山の上から手洗い場方向)2015.04.28H _13 B 八海山・里宮本殿と参道.jpg

   ◆ 池
2015.04.28H _09 B 八海山・里宮の池.jpg

   ◆ 池から流れ出る森の中の小川
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   ◆ ミズバショウも咲き始めた(小川に沿って大分株数が増えている)
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   ◆ 目覚めつつある里宮の森、消えた雪の隙間からいち早く日陰を好む野草達が!
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    左 : ウバユリの若い株・・・この株は少し巻いている所を見ると、もしかしたら
                   今年は花を付ける迄育つかも知れない。
                   種を蒔いても数年に分かれて発芽する。発芽はしても
                   5~6年は株が大きく育つ迄花芽を付けず、途中で枯
                   れて消えてしまう事も多く、育てるのが難しい花だ。
    右 : エンレイソウ・・・・・これは、比較的どこでも育つ良く知られた野草。
 

 

城内中学校・第16回卒業生の42歳厄払い記念碑

 

  里宮の左下、そこに鎮座して旧城内村を見守っている。

   ◆ 最近では【子宝祈願のパワースポット】だとか?
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    まだ雪解け中の為、スギっ葉(杉の枝葉)等の落ち葉で汚れているが、これが入口
    からの全景。

   ◆ 別の角度から
2015.04.28H _17 八海山・里宮.jpg

   ◆ 付近で見付けたショウジョウバカマ
2015.04.28H _19 B 八海山・里宮 滝周辺の花.jpg

 

    ここで、帰宅時間のタイムリミット。
    実家に顔を出してから帰途に付き21時頃、藤代の自宅に着いた。
    その後東京の職場に移動、結論として4月28日中に就寝出来、翌朝6時30分始業は
    支障無く対応出来た。

 

 

42歳厄払い御神体

毎年恒例になった42厄払い御神体の練り歩きが5月4日に盛大に行なわれた。

新堀新田で待っていたら。軽トラに載せたふれ太鼓と、男女の御神体を載せた役員一団が到着した。
お祝いに駆け付けた人達にお酒が振る舞われた。
立派な男女の御神体が積載されていた。
原木は欅の木で作ってあった。形を掘りだすのは固くて苦労したことだろう。
午前半日掛けて城内全域を廻る予定である。

桜が終わって花ミズキが満開になった。H27-5-4IMG_8520.jpg

ふれ太鼓の後方に御神体を載せた軽トラが到着した。 ご祝儀をいただく賽銭箱も載せられていた。H27-5-4IMG_8536.jpg

男女の立派な御神体であった。固い欅の木でつくられて、黒光りしていた。H27-5-4IMG_8523.jpg
 

お祝いに駆け付けた人達にお祝いの酒が手作りの盃にそそがれていた。 H27-5-4IMG_8527.jpg

厄年の同級生も駆けつけて祝っていた。H27-5-4IMG_8528.jpg

去年還暦の方も祝っていた。H27-5-4IMG_8530.jpg

村じゅう花ミズキの満開の中、42歳厄払いの軽トラが城内一巡にスタートした。H27-5-4IMG_8537.jpg

 

 

 

 

 

六万騎山カタクリ散策

4/22 快晴の暖かい春の日差しを受けて、麓地区の六万騎山のカタクリ散策に行ってきた。

当日は城内中学の同級生が6人真浄寺入口の駐車場に集合した。少し歩いて、麓の地蔵尊境内から登山を開始した。最初に待っていたのが登山守地蔵尊でした。皆で登山の安全を願って手を合わせた。1-IMG_8073.JPG

地蔵尊を過ぎると急な地蔵坂の階段が続いている。2-IMG_8076.JPG

 頂上手前の平地のカタクリ群生と桜の木。3-IMG_8090.JPG

頂上手前の平地のカタクリ群生。4-IMG_8082.JPG

頂上が目の前になってきた。     7-1-IMG_8100.JPG

頂上(321m)の広い平地には「六萬騎城跡」の石碑が立っている。ベンチも設置されている。眼下を眺めて休憩した。上りは0.5Kで30分くらいのところを1時間掛けてゆっくり登った。ピンクの山桜が満開であった。 頂上より少し下りたところで昼食を取った。    8-1-IMG_8108.JPG

眼下には魚野川に掛かる八海橋、関越高速、麓地区が見える。4-2-IMG_8081.JPG

頂上から一段下った平地のカタクリの群生です。9-1-IMG_8112.JPG 

カタクリの花

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イカリ草

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ツバキ

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下山道のイワウチワ    17-1-IMG_8138.JPG

注意しながら下山して来てやっと見つけた緑色のカタクリです。手前の花。18-1-IMG_8148.JPG

前の緑のカタクリを反対側から写す。18-2-IMG_8149.JPG

出口の庚申搭に下りた。 ゾッキが伐採されて明るくなった。   19-1-IMG_8152.JPG

時間があったので皆で、近くの八海山雪室へ行って休憩しホッとコーヒーをいただいた。  20-1-IMG_8156.JPG

 

 

 

第4回 城内雪と炎の祭典

2/21(土) 城内地区の4会場で主にロウソクを使った幻想的な風景が作られた。夕方にかけて、出かけて見ました。

-------------------「1Kmの白いキャンバスに貴方はなにを描く」主役は貴方-------------

のタイトルであった。新しい雪祭りの仕方で、みんなで雪壁をキャンバスにして思い思いの絵を描いて楽しむ参加型の雪まつりであった。

昼間から参加しなかったので、全体は解りませんでしたが夕方のロウソクの灯りは、ロマンチックで幻想的であった。

 泉ヴィレッジ会場(泉新田)玄関前駐車場の雪山灯篭 IMG_7414.jpg

  下薬師堂交差点のかまくら雪灯篭IMG_7420.jpg

下薬師堂の十字路から下出浦に向かう道路には雪壁灯篭が長く長く続いていました。IMG_7429.jpg

下出浦地区の雪壁灯篭

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下出浦地区の雪山をキャンバスにした雪祭り会場案内、写真は撮らなかったが、案内では勇士のかまくら、雪と炎、鳥おい神事などが行われました。IMG_7421.jpg

中手原のペンション裏の雪壁灯篭IMG_7433.jpg

中手原のペンション玄関脇の雪灯篭IMG_7441.jpg

メイン会場の城内開発センター入口IMG_7417.jpg

雪壁灯篭、やわらかいローソクの明かり IMG_7448.jpg

 メーン会場の雪壁灯篭タイトルIMG_7455.jpg

雪壁のキャンバスに描かれた「日本エレキテル連合 :流行語大賞!!ダメよダメダメ!」IMG_7452.jpg

んめいもん会場の屋台、たこ焼き、ちゃんこ鍋、モツ煮、オデン、甘酒無料などが出ました。IMG_7458.jpg

城内開発センター内のラーメン店で「むじなうどん」をいただきました。キノコなどいっぱい野菜が入っていて、むじな?美味しいトン肉が入っていました。IMG_7460.jpg

 雪壁のキャンバスに描かれた「おじゃる丸と電ボ」IMG_7450.jpg

雪壁かまくらとソーラー電灯IMG_7468.jpg

 

 

 

城内雪と炎の祭典2015

時間のたつのは早いもので。

城内雪と炎の祭典 今週の土曜日になりました。

お手軽参加型の雪祭り。

今年で4回目です。

今年は広報に力を入れ六日町中にチラシ配布、FM雪国で放送少しずつ 問い合わせも有るようですが??

予約が少なく少し不安です。

ポスターも少し変えてみたり。。

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城内名物 むじな 蕎麦、うどん もっと広めたい。むじなって何。。。。

笠原製麺謹製です。

 

八海山ロープウェー

スキーを履かなくなってからもう20年以上経った。

今年は他のスキー場ではバックカントリーの事故が多く発生した。コース外に出るのは危険で無謀なチョイスは避けたいものです。

地元に居ながら八海山スキー場で一回も滑ったことがなかった。

もう歳だからケガが恐ろしくて滑る決心がつかないでいる。この写真は3年前にロープウェーに乗った時のものです。

せめても冬の写真を撮りたくてカメラを持ってロープウェ―に乗った(H24.2.28)。

山麓駅(標高376m)から出発した。往復料金2000円(H27) 1IMG_4419-2.jpg

全長2217m、片道5~7分、眼下には城内が見える。2-1IMG_4357-1.jpg

木々の枝は白く凍っていた。幻想的なすばらしい景色だった。2IMG_4395-1.jpg

ロープウェー山頂駅(標高1147m)標高差771m 登山道4合目4-1IMG_4380-1.jpg

81人乗り、毎秒10m(時速36km)5IMG_4384-1.jpg

山頂駅を降りると周りの木々は真白であった。山頂駅を出るとスキーヤ―はコースの下を確認しながらスタートした。6IMG_4369-1.jpg

上には夏場に上る展望台が見える。快晴の素晴らしいお天気だった。木は白く凍っていた。7IMG_4364-1.jpg

ボードの若者も多くなった。IMG_4353-1.jpg

山頂駅かららくらくAコースへIMG_4377-1.jpg

中央のダウンヒルコースか?IMG_4407-1.jpg

上流の砂防ダムに続く巻川?IMG_4423-1.jpg

城内雪と炎の祭典2015

今年も城内雪と炎の祭典開催です。

忙しいやらなんだかんだでようやくチラシできました。

2月22日土曜日 もうすぐだといぅのに。

昨年のうちに手を打たないといけなかったのですが。。。

今年はチラシを六日町全戸に配布、どうなることやら。

去年までは城内内だけの配布だったのですが、予算も有る程度取れたのでこれを機会に広告出しましたが。

地元以外からどうすれば来て貰えるかいまだに思案中です。

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申込用紙

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今年はやりたいこと、思いをポスターにしてみました。

真冬の一日、楽しみます。

2015年1月1日~3日 六日町の雪

2014年12月31日新潟へ帰省。越後湯沢駅に着くと雪が降っていなかったので、あれって感じでちょっと拍子抜け。大雪で今も降り続いているという勝手な思い込みがあったから。でも、この思い込みは当たっていた、と後から感じることになる、とだれかのミステリー小説のような表現を使おう。

てなわけで(?)、新年早々の城内辺りの雪の感じを写真で見た。でもやっぱり素人の悲しさ。表現出来ていないなあと思う。

しかし、いつも、今も悩むのだけれど、こういうブログ形式って誰かに向けてしゃべるものなのか? それとも独り言? 日記? 

 

▼藤原の実家の庭から 左が2015年1月1日 右が1月2日

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▼実家から上の方 左1月1日 右1月2日

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▼実家から下の方 左1月1日 右1月2日

0101新潟家から下.jpgのサムネイル画像

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▼奇跡的に2日は晴れた。で、五日町スキー場へ行った。新年早々ついている!! 素晴らしい眺め。

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▼1月3日東京へ帰る途中。この日も雪。左は上原の鎮守様。右は城巻橋の手前、泉の辺り。

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▼1月3日六日町駅。ホームから駅舎を見る。雪のせいか、混雑のせいか1、「汽車」は15分ぐらい遅れ

た。来たら超混んでいた。やはり、富山とか向こうの方からも載ってくるためか。北陸新幹線開通で少しはこの混雑緩和されるかな? ま、でも混むときは混むものだ。

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12/23 たまたま晴れた一日であった。夜5:30頃城内、大崎地区をカメラ・三脚を持って寒かったが出かけてみました。今年は大崎地区のイルミネーションが少なくなっていた。前にも掲載しましたがまた挑戦しました。

麓地区のイルミネーションです。毎年点灯しているが仕掛けが大きくて素晴らしいイルミネーションです。楽しみの景色です。IMG_6939.jpg

上のイルミネーションの横の景色です。大きくて素晴らしい景色です。IMG_6941.jpg

大崎地区の大きなツリーイルミネーションです。昨年も点灯されました。IMG_6936.jpg

水尾地区です。昨年も点灯がありました。今年は少し飾りに変化がありました。IMG_6928.jpg

長森地区です。昨年も点灯があったと思うが横に長く伸びて綺麗です。IMG_6944.jpg

上原地区です。暖色の点灯で温かみを感じるイルミネーションです。IMG_6948.jpg

庭木の冬囲い

   ウオーキングを兼ねて近くの集落まで歩いている。小春日和の一日であったので晩秋の下原新田まで足を伸ばして見た。この集落は立派な石垣が続いている。その上には大きな庭木が育っている。冬囲いも手を掛けた作りになっている。これだけ立派な庭木が揃っているのも他にはないようだ。

新田堀の開削と同時に開村が進められた。開村は慶長2年・1597年(約400年前)(新編城内郷土誌より)H26-12-3下原新田8.JPG

四角に綺麗に刈り込められた生け垣。H26-12-3下原新田7.JPG

長くて大きな棒で回りを囲んでそれを2段の横棒で組む。とても一人では無理と思うが、昔のハッテ場の棒を思い出した。H26-12-3下原新田9.JPG

 こんな枝の多い木は囲むのに大変なんだろうな。H26-12-3下原新田10.JPG

竹林と用水路:水量が豊富で巾1mの川が区内の中央を流れているのはめずらしい。昔は各戸の石垣の前を流れていたのだろう。苔むしっていて綺麗だ。H26-12-3下原新田12.JPG

総鎮守(稲荷神社)境内の二十三夜塔(太良兵衛作文政二年八月・1819)(約200年前)H26-12-3下原新田6.JPG

関東管領 上杉顕定(あきさだ)公史跡公園 横に河邉清隆揮毫 S63建設)(新編城内郷土誌より)H26-12-3下原新田2.JPG

 上船地蔵尊:昔、花水は御蔵米の積み出し地であった。川舟は「こうりんぼう」と言った。魚野川和南津は船の難所であった。船の安全を願って地蔵尊を船に載せた。(新編 城内郷土誌より)H26-12-3下原新田3.JPG

城内秋もち会

11月23日(日) 恒例の秋もち会が城内地域開発センター内で行われた。玄関で交替しながらモチつきを行い楽しみました。秋もち会では昔からの伝統料理が出された。お酒も出て大変美味しくいただきました。

八海山倶楽部の仲間から参加の声を以前からかけられていたのですが今回はことわっていた。

しかし、この八海山倶楽部の東京の同級生が急きょ参加して、会場から突然電話がかかってきた。つもる話もあるので会場に直行した。

突然の参加で主催者にはご迷惑をかけてしまいましたが、こころよく受け付けてくださって、楽しい時間を過ごすことができて本当に参加してよかったと思っている。

モチつきの開始、2升のモチ米をふかしてウスに入れる。このあともう1回ふかした。H26-11-23秋もち会餅つき1.jpg

水を付けないで、軽くモチ米をついていく。H26-11-23秋もち会餅つき2.jpg

まず始めは3人でモチ米をつく。八海山倶楽部仲間の雄さんも挑戦する。H26-11-23秋もち会餅つき3.jpg

若い女性もモチつきに挑戦する。モチがくっついてキネを上げるのが大変だった。八海山倶楽部仲間の秀一さんも挑戦する。H26-11-23秋もち会餅つき4.jpg

ベテランの若井市議からキネの置き方を教わる。H26-11-23秋もち会餅つき5.jpg

分館長の上村さん、大和屋の大嶋さん、若井市議、ベテランが本格的なモチつきを披露した。イイ音が周りに響いた。H26-11-23秋もち会餅つき6.jpg

最初に出た献立、この後ぞう煮、手うち新ソバ、漬物など食べきれないほど出て来ました。35人位の参加者だった。H26-11-23秋もち会献立.jpg

若井市議が「石場かち」を披露した。家の基礎を作る時に歌われたが今は祝いの歌として宴の初めに固めとして歌われる。

昔聞いた歌詞の内容で懐かしかった。H26-11-23秋もち会石場かち.jpg

伝統の祝い歌に合わせた踊りが披露された。昔の座敷での宴会が思い出された。足元のカセットラジオから歌が流れた。H26-11-23秋もち会踊り.jpg

みんなでついたモチが2ヶ入ってボリュウムのあるぞう煮をいただいた。つき立てのスベスベしたモチで美味しかった。H26-11-23秋もち会餅つき7.jpg

秋もち会献立表

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ごちそうさまでした。

 

昨日 11月15日 富岡惣一郎没後20年 トミオカホワイト〜吟醸のひととき〜

と言うイベント有りました。私も商工会役員なので 実行委員会の委員の一人として お手伝いしました。

せっかくのイベントなので 何か出来ないかと思い

美術館の前の田んぼに水を張ってもらい、中手原で遊んでいたソーラー照明を灯す事になりました。

しかし 世の中そんなに甘く無いものです。

天候は最悪、みぞれまじりの横殴りの雨、ソーラーは曇りだと充電が少なく(特に雨のように一日どんよりしているとなおさら)

点灯はしたのですが、あまり奇麗じゃない、人に感動与えるほどではなかった。

救いだったのは、トミオカホワイトは白を基調にした絵なので 八海山は見えなかったが里山が白い雪に覆われとても奇麗だった事

まあイベント自体は大成功でした。

今日16日夕方になったら晴れたのでリベンジでトミオカホワイト美術館行ってみたら、まだ昨日の田んぼの水沢山残っていたので

逆さ八海山撮る事で来ました。

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何時も思うのだが、レンズ通すと夕焼けが奇麗に焼ける。

肉眼でみるとこんなに赤く無かったのだが、

それにしても水鏡の威力はすごい、感動を沢山くれる。

この辺に 此れからの城内の進む道が少し見えて来たような気がする。

今有るものを上手に利用する。ただでさえ美しい八海山が水鏡に映すだけでこんないに素晴らしい表情を見せてくれる。

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今日は八海山の後ろに雲が張り付いていた。此れも珍しい。

昨日の天気の悪さでめげていた私に ご褒美もらったようだ。

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夜も充電したそーらーが 自己主張してくれました。

昨日が嘘のように、奇麗な姿を見せてくれました。

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バルブで撮影 1分くらい開いた。アーサー感度1800 八海山が薄らと映り、星も見える。

この景色 昨日大勢のお客様に見てもらいたかったのだが。。。

世の中そんなに甘く無い。

帰り支度して 農道に止めてあった車を岡方面にいき、

ふと トミオカホワイトホワイト美術館の水面に映る風景撮ってみようと思い直し

車をUターン 

それがこの写真、何とも幻想的な姿が撮れました。

水面に映る美術館とソーラー照明。

苦有れば楽有り、そんな事を思う今日一日でした。

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法音時の朝

今朝雷電様に水汲みに行く途中法音時に行ってみました。

朝日を浴びて とても奇麗です。

境内の大銀杏の葉っぱ境内に敷き詰められて絨毯のようです。

苔むした境内に朝日が浴びて、心落ち着かせてくれます。

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10時くらいまで城内は霧に包まれていた。

坂戸山からの八海山も奇麗だった。

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八海山初冠雪

今朝の八海山に初冠雪があった。雲の下に真っ白い雪が見えた。

今朝は気温は下がっていたのでもしかして山は初雪かなと思って、外に出て見たら八海山に白いものが見えた。

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午後から八海山の雲が無くなり秋晴れの澄んだ青空となった。八海山の頂上は真っ白い初冠雪になっていた。

昨日までは山も紅葉に染まっていたが、今朝の山頂は雪が積もっていた。いよいよ城内の里にも冬の気配が忍び寄ってきた。

この初冠雪が消えて、3回くらい雪が降って、中腹まで雪が降りてくれば里にも雪となる。

これからは立木の雪囲いと家回りの雪囲いとなるがその前に秋野菜の大根や白菜、ネギの収穫が残っている。

少し八海山の初冠雪は去年より早いように思うが?

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夕日に染まる八海山

久しぶりの夕日に染まる八海山です。

昼間天気良かったので仲手原まで足伸ばしてみました(金)城内の文化祭で使う写真の額を取りに行ったついででしたが。

思ったより綺麗な夕焼けでした。八海山も綺麗に染まり、初めての絵になりました。

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真っ赤な夕焼け、ススキが白く輝く。

 

ふるさと今昔物語 Part -2

           「ふるさと今昔物語 Part-1」  より続く

 

再び、実家の周辺図から始めましょう。

   ◆ 不完全ですが、「昭和30年代の屋号」上原十字路下(しも)の図
       本図は小生の記憶の範囲で作成、後日修正版との差し替えを予定中。
S30年代上原十字路(下).jpg

    上図中、少なくとも実家を中心とした薬師様・役場・鎮守様・映画管周辺のエリアについては
    間違い無いと思う。(城内文化・映画館通りの上下エリア)

 

【新田掘】

我が家の前の川が【新田掘】で、上流は田崎の先、【三国川(さくりごう)】・深沢(ふかそう)の八ヶ堰から取水して上原のほゞ中央を横切り、【宇田沢(うだぞう)川】の河底を潜り、長森新田の灌漑用水として、現在もその田畑を潤している。

   ◆ 我が家の前での【ママ探り(魚の手掴み漁)】 ・・・・ ヤマメやイワナも捕れた
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   注 : 前の家に渡る橋がコンクリート製になっている (以前の写真では木製の橋)

実はこの灌漑用水、徳川・四代将軍家綱の時代、藩(越後高田藩)の「米(年貢米)増産」政策での長森ヶ原新田開発計画が発端
山懐の浅い宇田沢川の水量だけではそれまでの田畑で限界があり、山懐の深い三国川の豊富な水を引こうと言う事になったのが理由。
しかし、これには藩内では裁き切れない反対運動が起き幕府を巻き込んだ裁定の結果計画通り推進となったと伝えられている。
   (最新版、「新編 城内郷土誌」より、
             以下の内容も、同郷土誌の解説に私の推論を加えたもの

単なる村人の反対運動だけでなく、当時まだ寺領や格式が10万石(これは?)相当の【法音寺】が係わって居て、その結果は反対運動側の敗訴、法音寺も反対の立場だった。 (法音寺の場合、工事に伴って寺領地の削減などの不利益生じる為)
現在の法音寺の侘しさを考えると、もしかしてこの事件が凋落の一因ともなっているのかも知れない。

法音寺の件は、別の機会にするとして、新田掘の規模は、とても江戸時代初期のものとは思えない大工事を行って作られている事に、今でも驚かされる。

私が実際に見て感動するポイントを幾つか挙げると、
   ① 測量技術
       三国川から宇田沢川を抜けて長森新田に流す為の傾斜をどの様にして作ったのか?
       直線では無く干溝からハコドヨ迄の傾斜丘陵台地を、深さ10m以上まで開削して作っ
       ている。
       もっとも、もし自然傾斜で流すと地形的に丘陵台地の端、石万川(ごくまんごう)と並
       行に流すしか無くなり、長森新田の半分も灌漑に使えなくなる事も想像出来る。
   ② ハコドヨ(水路の大規模立体交差点)の発想
       実は新田掘開削前からの川だったものと思うが、私の知る限りでは湧水等の水源を持た
       ない川の様で、雪解け時期や雨の後数日で干上がり、灌漑用水の役割は少なかった様だ
       が、雨が続いたり集中豪雨の様な時は異常な増水が見られた事から災害対策の安全弁的
       な川であった様だ。
       因みに下流でも石万川に合流させずに下原新田で宇田沢川に流していたのも同様の理由
       からと思われる。
       従って、人家の多い方に向かって流れる新田掘に合流させると災害も予想される為、立
       体交差で従来通りの方向へ流す構造を作ったものと思うが、発想が凄い。
       ハコドヨの上流は杉や雑木の林に囲まれて藤原まで続いていたが、その川ををミズオシ
       と呼んでいたのも「水が押し出して来る」と言う意味だったのかも知れない。
   ③ 宇田沢川の川底を渡して長森ヶ原の新田開発が出来ると言う発想
       これは当時としては奇想天外な発想で有った事と思う。
       この発想をした人とそれを認めて実行した高田藩為政者に敬意を表したい。
       先に書いた反対運動や技術的な困難等、余程の実行力が無ければ成し得ない事である。

   注 :  「新編 城内郷土誌」の中では高田藩主を「松平上総之輔」とだけ記載している為誤記
       かどうか、真偽はわからないが「 松平姓」で「上総之輔」と言う高田藩主は存在せず、
       【松平上総介(かずさのすけ)忠輝】と言う藩主が居た事は有るが 四代将軍家綱の時
       代にはすでに改易されて後任が2代も代わっている。
       将軍家綱の時代の藩主は【松平越後守(えちごのかみ)光永】、この頃家老・小栗美
       作(みまさか)と美作が招聘した家臣・河村瑞賢(ずいけん)の指揮で新田開発・殖
       産興業等を行った事が周知の事実として記録されている。
       つまり、【「新田掘 開削事業]と「長森ヶ原の新田開発」】はこれ等藩政の一環事業
       のひとつで有った事が推測できる。
       小栗美作や河村瑞賢が推進者として係わっているなら、奇想天外な案も有りだろう。

 

【新田堀】の現在 ・・・・・ (実家周辺) 

    以下現在の写真は Google Map ストリートビューよりの画像です。

   ◆ 実家前 : 新田堀は道路の下を流れている
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     道路の中央は消雪パイプのラインで、新田堀はその右側の舗装の下を流れている。
     左側、沼田屋の向こう、県道を越えると新田堀が道路の左に姿を現す。

   ◆ 県道から先の新田堀 ・・・・ 道路の左側     (この写真は自分の撮影)
2007.05.21 _ A (1280×711).jpg

     左に現われた新田堀、宇田沢川堰堤道路(薬師様や墓地のある所)の手前で土管に
     吸い込まれ、対岸の長森新田で再び地上に現われる。

   ◆ ストリートビューが行ける限界、薬師様は右手前の家に隠れて見えない
sv 上原・薬師様.jpg


再度、実家前より新田堀の今

   ◆ 映画館通り、左右の風景 (新田堀・下流方向)sv 新田堀下流方向.jpg

   ◆ 映画管通り、左右の風景 (新田堀・上流方向)
sv 新田堀上流方向.jpg

     この写真の道幅のほゞ中央から左側(橙色の線の間)が【新田堀】、赤い鉄の板は
     消雪作業時などに開けて使う部分のフタ。 (右端は普通の側溝で、雨は新田堀へ)

     昭和30年代はこの道の突き当りに、【城内文化】と言う映画館が有った。
     (突き当りと言っても当時の突き当りは、奥に見える三角屋根の家位の場所)

もう一度、県道の上手(八海山方向)と、下手(下原方向)
   (下手は県道がカーブの為、鎮守の森迄しか見えない)

   ◆ 沼田屋前から左の道が上原十字路から山口・八海山方向、右は映画館通り
sv 沼田屋角から八海山方向.jpg

     冒頭の「昭和30年代地図」にも記載した、昔の薬師様の境内に有った「半鐘」が、今は
     こうして消防小屋の前に吊るされている。 (やはり懐かしい気がするものだ)

   ◆ 下原方向 : 正面の杉が数本見える所が鎮守の森 (今は林とも言えないが)
sv 旧役場前から鎮守様方向.JPG

     昭和30年代は鎮守の森と呼ぶにふさわしい杉林の中に、ご神木と言ってもいい欅の巨木が
     そびえていた。
     そんな神社の境内で、毎年行われた盆踊りも、今はただ懐かしい思い出だけになってしまった。 

 

 

昭和30年代の遊びと「自然の味覚」・・・自然の中で!

     ※ この時代、子供と言えど大人の手伝いが多く仕事の間に行われる遊びも多い。
       それ等は遊びと言わないものもあるかも知れないが、私の独断で代表的な幾つかを!

【春】 3月~5月 (魚沼地方:南魚沼市・湯沢町・十日町市・魚沼市周辺)

  ◆ 凍み渡り ・・・・ しみわたり (魚沼地方の表現) ・・・ 仕事上でも活用
       ・ 雪国であれば何処でもする事だが、全国的な共通表現かどうかは不明。
        雪国以外の方の為に、現象の概略
          冬から春に季節が変わる時、大量に積もった雪は春雨や温かくなりつつある南風
          や日中の陽光で、溶けた雪の水滴で表層と大地両側から雪質はザラメ雪に変わる。
          この状態で、昼の間に溶けて表層に残った水滴が、夜間の寒気で氷結し最中の皮
          の様に雪面が凍る。 これが何回か重なり、次第に表層の氷結層が厚くなり、や
          がて人が乗っても沈まなくなる。
          これを利用して、道以外の雪上を移動手段に使う事を【凍み渡り】と呼んで居る。
        遊び : 通常、地上で行う遊びはほとんど実行可、以下はこの時のみの遊び
         ・ そり(橇)遊び      ・ ウサギ・キジ・ヤマドリ追い(捕獲猟)
         ・ 杉っ葉(すぎっぱ)滑り・・杉の葉を尻の下に敷き山の斜面を滑り降りる
         ・ ドッポ(この呼称は城内でも知らない人が多い様だ)
             「落とし穴」の事、表層を丸く切り取りフタにして、その下に穴を掘り
             下に罠を仕掛けてシカ・イノシシ等大・中型動物を捕獲する猟だ。
               (熊には使えない法方らしい)
             子供達の遊びでは罠は無く、危険の無い様浅く掘って悪戯に使った。
         ・ スキー、その他
        仕事・手伝い : 遊びとは言えないが、凍み渡りを利用した作業
         ・ 施肥・肥え撒き
               ・・・施肥と消雪の目的で、人や牛馬の糞尿・堆肥を田畑に撒く作業
         ・ 灰撒き・・・・・・・・青菜(青物野菜)の畑や稲の苗床等の場所の消雪目的
         ・ 炭出し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・炭焼きした木炭の出荷(運搬)
         ・ 山林伐採と運搬・・・・ソリが使え、大きな杉やヒノキ等が運び出し易い時期
         ・ 春山・・・・・・・・・・・・・山林管理やマキ(燃料等の為)の柴刈り作業
         ・ 杉っ葉拾い・・・・焚きつけ(点火)用に杉の葉の枯れ葉を集める子供の仕事

     【注意】 凍み渡りは目に見えない危険もあり、地形を知らない所は行かないのが原則
           夏から秋には水が枯れてしまう様な小川でも、雪解けのこの時期の水量は半端
           では有りません。 また、雪原に隠れた小川の上はアーチ型に抉られて、非常
           に薄くなり、人が上に乗ると、まさに落とし穴(ドッポ)の様に抜け落ちて、
           冷たい水に押し流されて亡くなると言う事故も少なく有りません。
           地元の人でも深い霧に包まれたりすると、雪原の中では方向感覚が狂い、事故
           に遭った事例が有る程、むやみに凍み渡りをする事は危険を伴います。
           特に温暖地域から来られる方々は地元の人に良く確かめて、くれぐれも 知らな
           いエリアに足を踏みいれない様ご注意下さい。

  ◆ 山菜採り ・・・・ 当時は主に自分の家で食べる為に採っていた
         ・ アサヅキ堀り・・・・主に雪解け直後の場所に芽吹く黄色いモヤシ状の新芽。
                     土改(土地改良)後はあまり採れる所が無くなった。
                     最近秋田・山形の一部では、栽培品を別名で売ってい
                     るが、日に当てて栽培しているので普通のワケギと変
                     らない様だ。 それに比べて雪の下からのアサヅキは
                     生で味噌を付けてもヌタや味噌汁等に使うと美味しい。
         ・ 木の芽摘み・・・・・ 魚沼地方ではアケビの新芽(蔓の新芽と葉の新芽、両
                     方とも食べるが、メインは蔓の方)を木の芽と言う。
                     因みにサンショウの葉も最近では木の芽と言うらしい。
         ・ 竹の子採り・・・・・・言わずと知れた、根曲り竹の新芽 (5/末~6月)

         ・ その他・・・・・・・コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、ウルイ、ウド、etc.

【夏】 6月~8月

  ◆ トンボ捕り・・・早朝、小川の縁の草を利用して夜の間に這い上がったトンボのヤゴが羽化
            して、まだ飛べないトンボを採集して来て飛び立つ迄を観察する
            (注 : 羽化の途中で羽を掴むと変態が途中で止まり羽が歪み飛べなくなる)

            遊びの対象は、やはりトンボの王者、ヤマドンボ(オニヤンマ)。
            その、羽化したばかりの時は全身が黄色なのに、時間と共に黒と黄色の鎧の
            様な体と大きな透き通った四枚の羽に変わって行く。
            特にヤマドンボのメスはオスより一回り大きな体型で、見飽きなかった。
            当時は捕っては来たが、無事羽化が終えて自然に飛び立つのを見て満足した
            ものである。  (勿論、羽化現場の自然の中で観察する事の方が多い

  ◆ トンボ釣り・・・こちらは日中、やはり殆んどがヤマドンボを対象の捕獲遊び。(他のトンボ
            でも同様に出来たが、遊びとしての面白味は格段に違った様に思う)
            ヤマドンボのメスは小川等の小さな綺麗な水辺をテリトリーにする習性があ
            り日中はこのテリトリーを往復している事が多い。
            そこで、この(主に)メスを網等で捕獲して、これに糸を付けて囮にする

            この囮で多くの場合はオスが飛んで来て、交尾しようと絡み付いた所を捕ま
            える。 この場合、手で簡単に捕獲出来る。
            この捕り方を、トンボを釣る(魚釣りになぞらえてか?)と言う
            別のメスのテリトリーで放すと、攻撃する為か、やはり絡み付く場合があり、
            これも捕獲し易いが、この場合素早くしなければ逃げられる確率も高かった。

  ◆ セミ捕り・・・・これは全国同じ方法だと思うので省略。 ただ羽化について少し参考迄に!
            私の場合、羽化の観察は大抵近くの鎮守様が一番の観察スポットで、アブラ
            ゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ等の羽化が、晴れた日の夜明けから日の出頃
            迄、飽きさせる事無くあちこちの木の幹で続く。 これは捕ると言う目的よ
            り観察が主で、意外に感動させられたのはアブラゼミの羽化直後
            成虫としてのアブラゼミは良く知られている様に、ミンミンゼミやヒグラシ
            に比べ全身(羽も含み)焦げ茶色系の地味な色をしている。
            それが幼虫から脱皮した直後から羽が伸びきって数分の間全身が【黄緑色】
            のセミが出現する、やがて全身が変色して見慣れたアブラゼミになる。
            その色彩の変化が成虫とのイメージの落差が大きい事に、感動したものだ。

            そう言えばトンボも脱皮直後は黄緑色系の体色で、ミンミンゼミやヒグラシ
            も、なぜか黄緑系の色で羽の成長が完結すると、それぞれの種の本来の色に
            変化して行く。 (ハチやカブトムシも、脱皮直後は黄色系だったと思う)
            脱皮する昆虫に共通で、血液か何かのホルモンに秘密があるかも知れないが、
            これは大学か何処かの研究所にお任せする事にしたい。
            クラゲで貰った人も居る、もしかしたらノーベル賞級の秘密があるかもね

  ◆ 魚捕り・・・・・これについては城内地域独特と言うものは無いが、清流の流れる宇田沢川と
            三国川、そして魚沼盆地を貫いて流れる魚野川。
            それらの河川を主な水源として、縦横に張り巡らせた田畑の小川や導水路が、
            その遊びの場である事から、主に以下の様な遊びになる。

            ☆ ざっこすき(雑魚すき=すくい) 
                     ・・・・「ドジョウすくい」と同じだが、網を使用して
                          小川や水路等での追い込み漁

            ☆ 魚突き(「ヤス突き」とも言ってた様な?) 
                     ・・・・ まさに「ヤス」で突いて捕る漁

            ☆ まゝ探り(前出) 
                     ・・・・ 大きな石や岩の下に出来た窪みに隠れている
                          魚を素手で捕まえる漁
             ※ 岩の窪みや石垣・堰堤の隙間、大きな石の下等を【まま】と言っていた

                    ◆ 

                    ◆

                    ◆

                    e t c .

 

今、我々の故郷でさえ冒頭の写真の様な「ママ探り」や「トンボ釣り」、「杉鉄砲」等、自然の中での遊びをする子供達の姿はほとんど見る事が出来なくなって久しい。
勿論、そう言う自然が少なくなっている事も事実だが、私はすぐ身の回りに遊びの環境が有っても遊べない子供が増えている事に危惧を感じている。

子供達の、【創意工夫】【社会性・協調性・思いやり】【ケンカの限度・危険察知力】【忍耐力】等々は、TVゲームや学校教育で醸成される事よりも、日常の遊びの中で学び・実践しながら覚えて身に付くものではないかと思う。 

一方、家庭内でも家族構成の分散化と仕事の形態が教育環境と乖離(かいり)して、利益優先の社会システムが躾けの崩壊を促進させている。 (経済的弱者の急増も問題)

小人数で、自然の中で、そこに有るもので創意工夫をし、遊ぶルールも自分達で作りながら意見を交換又は戦わせ時にはケンカもしながら自分たちの社会を作って行く事で成長して行く事が本当の教育だと思う。
今の様に無闇に大人が干渉しない。 ただし、放任・無関心は最悪の事態を招く可能性大。
社会秩序を外れたり、危険な行為についてのみ助言・支援をする程度がベスト。

ただ、現代の親世代が、すでに【個の時代】と叫ばれ【TVゲーム】【遊びよりも塾】優先の教育環境で大人への道を歩いた人々の為、急に【子供達を自然へ!】なんて言っても笑われてしまうかも知れない。

しかし、最近の異常な犯罪や限度を知らない若者達の暴行事件、折れ易い精神が原因と思われる切れ易い人の増加が、形を変えて我が子への虐待・・・等々の現象を引き起こしているのではないかと思われる。

詳細な分析はしてないが、本質的な問題点の7割以上が子供時代の躾け環境と育て方に原因があるのではないかと思われる。
従って、これからは学校の授業以外の教育に自然の中での、遊びを通じた情操教育】が、見直され、重要視される時期に来て居ると思う。

発想を変えれば → ビジネスチャンスにも !

首都圏に近い自然も多い我等の故郷は、そんな社会に【子供達の情操教育の場】として廃校などを利用して短期カリキュラムなどを提供すれば、新しいビジネスチャンスが生まれるのでは? と思う。 (南魚沼市全体での取り組みがベスト)
もし、実現すれば子供達の合宿場所の他に、期間(1週間~1ヶ月単位位)中に親達の出入りも予想されるので土産物・道の駅や温泉等の需要も期待出来る。 (あくまでも私見です)

 

熱気球乗りました。

花火だけではなく 盛り沢山の内容でした。

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ぬか釜で炊いた新米 おにぎりにして 美味しくいただきました。30k用意したお米 完売です。

450個くらい握りました。

盛況なふるさと祭りでした。何より天気に恵まれたのが良かった。

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城内豊年ふるさと祭り花火

12日天気にめぐられ豊年ふるさと祭り開催されました。

午後から人の切れ間無いまま 花火に成りました。城内のお祭り始まって以来の観客動員?だったとか。

私もお昼からぬか釜で新米焚き、用意した30k 完売しまた。

ところで夜の花火です。今年は場所変えて 下新堀からの撮影です。

何とか逆さ花火も綺麗に撮れました。

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去年より会場に近かったのですが、さいぎる物無かったのでばっちり撮れました。

やっぱり水鏡綺麗です。

水面花火の撮影マップ

今年も10/12(日)夜PM6:30から城内豊年ふるさと祭りで大花火大会が行われる。

去年からお盆の時期から秋の稲刈り後に変更になった。

県下では一番遅い時期の花火大会となる。

秋の刈り取り後の田んぼを写真撮影に利用できないかと実行委員会が考えて昨年から耕作者に田んぼの水を張ってもらった。

田んぼの水面に写った花火も同時に撮影出来れば面白いのではないかとの思いつきだった。

やって見ると結構、面白い写真が出来た。

そんなことで、今年も再度チャレンジする運びとなったようです。

私の近くの田んぼ(新堀新田)や下新堀の田んぼが遠からず近からず、撮影には最適な場所です。

水を張った田んぼの位置を掲載しましたので参考にしてください。

 花火撮影水田位置2.jpg

 

花火プログラム案内1.jpg

 

花火プログラム案内2.jpg

 

 

 

ふるさと今昔物語 Part -1

この「八海山倶楽部」の仲間、智通君の投稿【懐かしい昭和30年代の上原家屋図】に触発されて、少年時代の古い写真を探して見た。

昭和30年代と言えば、まさに我々が少年時代を過ごしたその時期である。
ただ、実際に写真や資料を探すとなると、学校の卒業記念アルバムや文集など僅かなものしか無い事を痛感させられる。

私の場合、その卒業アルバムや文集なども、転勤先の住居で「阪神淡路大震災」に遭い、住んで居たマンションの上階で下水管が破損、居室内に漏れて来た下水の為に思い出の写真や文集など書類の殆んどを失ってしまった。
そんな状況から僅かに残された写真の中に、義兄(姉のダンナさん)が帰省の都度撮り溜めた写真が数枚残って居たので、今回はその写真と、智通の作ってくれた【昭和30年代上原家屋図】、Google Map(ストリートビュー含む) 等から得られた画像を元に構成してみました。

 

故郷の現在と郷土史の城内全図

   ◆ 南魚沼市の中の故郷周辺 (Google Map より)
六日町・城内 MAP A.jpg

最初に、私達の故郷の昭和30年代を語るには、その頃の行政区割を知っているとわかり易いでしょう。
そう、何回かの市町村合併を繰り返して現在の【南魚沼市】となった訳だが、我々の故郷はその頃【城内村(じょうないむら)】と呼ばれる地域で、現在は学校名等の施設名の一部にその名残りを残すのみで、住所や地名からは【城内】の名前は消えてしまった。

上記のMAP(写真)の左下から上に向かって流れる【魚野川】と、写真下部の中程から左上に向かい魚野川に合流する【三国川(さくりごう)】、それに【桂山】【高倉山】【阿寺山】【八海山】【猿倉山】【六万騎山】から【魚野川】を繋ぐ線で囲まれた地域が、【城内村】とされていた。

   ◆ 城内村全図:昭和35年発行「城内郷土誌」より (I Nagumo 君ご好意による)
                     (下記地図の中で〇印・上原(かみはら)が私の実家周辺)
城内村全図(S35年発行・城内郷土誌より)  (1280×749).jpg

   ◆ 現代の観光周辺Map (南魚沼市観光協会発行パンフより抜粋)
六日町周辺マップ.JPG

   注) このMapは便宜上約90°程、右に回転して作られて居ます。(左側が南、右が北)


さて、ちょっと寄り道になりますが、故郷は今【秋真っ只中】。 
山では紅葉が始まり、里では秋の味覚が色々と登場して来て居る頃、今では中々見る事はなくなったが 私達の少年時代、下記掲載の写真の様な【ハッテ(ハサ掛け)】が、家々の回りや畦道沿いに所狭しと並んで居た事を思い出す。

   ◆ 【ハッテ】掛けの風景
      (数年前のNHK番組のワンシーン/画面写真だけなので番組名・場所不明)
ハッテ 1B  (814×534).jpg

私達が子供の頃の【ハッテ】は横には竹竿などを使ったと記憶しているが、この映像はナイロンの綱の様でより密集して干されている様に思う。
こんな所も近代化した訳だが今はそれも殆んどがカントリーエレベーターで強制乾燥・選別・貯蔵用処理する方式に変わっている。

それにしても、この「稲束を投げ・受け取り干す所作」が、懐かしいのでつい写真に残した。
風景としては残して行きたい光景だが、この後の脱穀や選別等の手間を考えると、TPP対策は別としても労働環境改善の為には不可欠な事だろうと思う。

そうそう、その当時【稲刈り(手刈)】と、【ハッテ掛け】【ハッテ外し(降し)】の作業に関連した【稲束運び】の手伝いがモッパラ子供達の仕事になる訳だが、【稲刈り】や【稲束運び】を手伝った初日の夜は、体中チクチクと痛痒くて眠れない事が有ったなあ!
(次の日位から体が慣れて殆んど気にならなくなるのだが・・・人に依って反応も違った様だ)

昭和30年代の農業は 米の増産・増産が叫ばれ、これを目的の秋田・八郎潟干拓が始まったのも昭和32年でした。 (昭和42年から入植開始→昭和52年竣工)

 

昭和30年代の秋景色(生活編)

そんな時代、【生活面で城内の一般的な村の秋】を思い起こして見ると、

9月「稲刈り」に始まり→10月:「米の出荷」「果実・野菜類の収穫」→11月:「文化祭/野菜などの品評会」「漬菜(野沢菜漬け作り)」→11/末~12月中旬:「雪囲い、家に依っては雪池(ゆきだな)作り」で雪の季節に備える事になる。

一方、【自然界の秋】は、
平均的に9月末:標高の高い「八海山の頂上」の紅葉に始まり、里の秋の紅葉は11月上旬に盛りを迎えた。
(年に依って1週間位前後のズレ有り・・・何故か、昨今は更に季節のズレが大きい様である)

   今では八海山の紅葉も、ロープウエイで気軽に見に行ける様になった。

そして【山の幸】。 この時期になると、キノコ、ヤマブドウ、ミヤマツ、エブ(エビヅル/サンカクヅル)、山栗、クルミ、トチの実、アケブ(アケビ)、カヤの実、サルナシ、etc.
そう言えば、良く熟れた【マタタビ】も甘いキウイの様で、サルナシ同様美味しかったな!

その秋も、11月中~下旬には八海山に初雪(冠雪)が来て、「山に3回雪が降ったら次は里に雪が来る」と言われ、里人は根雪が近い事を想定して【ダイコダテ】(冬の間の野菜:大根・白菜・人参などの雪中保管庫)作りなど、雪に閉じ込められる冬の準備を進めてて行く。

   ◆ 城内とは角度は違うが、五日町スキー場からの【根雪直前の雪前線】の例
         雪で白くなる等高線が下がって来る (ゆきぐにネット・ライブ映像より)
hv2012-11-28-12-20 八海山.jpg

この頃だったと思う、宇田沢川や三国川、魚野川に、石の下に産み付けられた【カジカ(魚)の卵】を捕りに行ったっ事が今では懐かしい。

当時は道路の消雪設備も無く、道路の除雪も国道17号線がやっと始まった位で城内村等は対象外、根雪が降ると陸の孤島に近く、自動車も止り、春までは ソリ(橇)を使うか人が担ぐしか物流通の手段が無くなるのである。
現代の若者達には想像も付かない事と思う。
こんな生活についても絵にして残せたらいいのだが、残念ながら私にはその様な絵心が無い。

絵心と言えば、初雪の頃にはこんな(下記・写真)素晴らしい場所が今でも随所に有る、残したい風景のひとつだ。

   ◆ 下薬師堂付近【宇田沢川】堰堤より (2008年12月上旬、前夜の里・初雪)
里の初雪(直後).jpg

    写真下の住宅地、30年代はどんな風景だったのだろうか?

 

昭和30年代の冬景色

今では登る人も居ないだろう「鬼の面山」の尾根繋がりで、私達遊び仲間の間で「暮坪山」と呼んでいた山(小中学校と宇田沢川を挟んだ対岸の山/この山の向こう側では学校のスキー実習も行って居た)の中腹からの写真である。

   ◆ 昭和36年3月末頃、暮坪山中腹よりの上原方向
         (長崎出身・義兄撮影、凍み渡り体験時に撮影したもの)
S36年暮坪山からから上原方向  (1280×388).jpg

下を流れる【宇田沢川】の左対岸に「合同製糸」工場と煙突が、川下(右)には「城内中学校と小学校の校舎」が見える。
背後の山は「金城山」(左)と「坂戸山」(右)。

それにしても、
 「坂戸山(標高634m)」と同じ高さの「東京スカイツリー」が出来るなど、想像も出来なかったなあ!

   ◆ 宇田沢川下流方向 (新堀新田~下原新田・長森方向と魚沼丘陵)
故郷の昔 - 013 (抜粋).jpg

   ◆ 東を見ると【八海山】、手前の集落は【下出浦(しもいずな)】(右奥:上出浦)
故郷の昔 - 010 (抜粋).jpg

 

   ◆ 上記写真の撮影場所:現在の【城内小学校】付近から(早春春)

2007.05.21 _ C (1599×615).jpg

 

写真集・少年時代

個人情報保護の見地からは顔を隠した方がいいかも知れないのだが、何十年も前の顔やすでに鬼籍に入られて居られる方も多い為、写真はそのまゝ掲載する事にします。

なお、写真撮影の年・月・日等は「震災」時にアルバムから剥がしたまゝだった為情報が曖昧になり、年代順で無い場合がありますのでご容赦願います。

   ◆ 昭和30年代の【八海山】と【合同製糸】 ・・・ 左の山が【鬼の面】と呼ばれる崖
故郷の昔 - 001 (抜粋).jpg

    ※ 1  【合同製糸】 ・・・・ 富岡製糸のミニ版、城内周辺での養蚕繭から生糸にする工場。
              近くに行くと繭を茹でる時の独特なニオイが結構強烈に漂って来たものだ。
              当時はあまり良いニオイと感じたことは無かったが、今では懐かしい。

    ※ 2  【鬼の面】 ・・・・・ 昔話・言い伝え等も有るが、宇田沢川に削られた、急峻な崖。
              写真の【合同製糸】と【宇田沢川】を挟んだ対岸の岩壁。
              地層は古いので雑木は繁茂しているが、高さ約80m/約60°位の急斜面。

   ◆ 現在の鬼の面 ・・・ 【宇田沢川】堰堤より (5月上旬)
八海山 -  009 上原 640x480.jpg

    昭和30年代、此処は流が左側の山に直接ぶつかり岩肌を抉(えぐ)って深さ1.5m位、
       幅5~10m、長さ15~20m位の淵を作って居て、我々少年達には格好の「流れるプ
       ール」であった。

     私が泳ぎを覚えたのも、この【鬼の面】の「流れるプール」でした。

    【合同製糸】はこの写真の右堤防、ちょうど写真が切れた辺りから手前右側に有った。
      撮影位置が、ちょうど【合同製糸の煙突が有った辺りのだと記憶している。

 

我が家の周辺

   ◆ 周辺地図 【昭和30年代=屋号の時代・・・上原十字路から下(しも)の範囲】
       (個人情報保護の見地から、直結し易い氏名=屋号の家は空欄にしました)
      なお、本地図は修正要因が多々あると思われる為、情報をお願いしますS30年代上原十字路(下).jpg

智通君が作成した【懐かしの昭和30年代・上原十字路付近地図】をベースに、上原十字路から下の部分を思い起こして作成して見ました。

およそ半世紀前の状況を思い出しながら作成してますので違う所も有ろうかと思いますが、お気付きの点が有りましたら是非教えて頂ければ幸いです。 (必要に応じて修正・補正をして行きます)

なお、細かい文字も、PCで拡大すれば楽に読めると思います。
 (携帯の場合、見難いかも知れませんが、ご容赦を!)

   ◆ 我が家の前の風景
       (前の川が新田堀、前の家のヤギは草を求めて下を覗いている状況)
故郷の昔 - 007 (抜粋).jpg

   ◆ 我が家(左)と隣家(右)の間から前の家の作業小屋兼ヤギ小屋
       (石垣の上が、通称「映画館通り」、とは言っても砂利道、遠くは八海山の裾野)
故郷の昔 - 006 (抜粋).jpg

   ◆ 前の家に行く橋を渡った所での「お袋」と「上原薬師」  (早春の頃)
       (この頃は橋が板橋である事にご注目、背景の建物は上原の「薬師堂」)
       上原の薬師様、言い伝えを信じれば、法音寺成立の歴史と深く係わっているらしい。
       御本尊の薬師像は江戸時代の洪水で右腕を失ったが、近年その右腕が帰って来た
       と言う、数奇な経過を持ち、もしかしたら重要文化財級かも知れない。(盗難が心配)
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    「薬師様の腕帰る」の新聞記事 ・・・ 新潟日報だったかと思う  (I Nagumo君より)
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   ◆ 2年位後の夏、母と近所の人々
       (背景の建物は「城内役場」と「薬師堂」、その前の大きな石は「二十三夜塔」)
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   ◆ 小5の頃の3月頃、隣家の前にて
       (道路が雪で高くなっている事から、村内一斉に行う除雪行事、「雪割り」の前だと思う)
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   ◆ 小6の時だが、卒業式の日では無かったと思うけど? (TI 君・SS 君と)
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   ◆ 我が家 (年代不明  : 小学校4~6年頃)
        隣に美容室が建つ前で沼田屋が写っている事や、道路から玄関の下り口が
        新しいスロープになっている所から、井戸→水道に変わった頃と思われる。
         前の家の板橋(4枚上の写真)がコンクリート製に変わったのもこの頃。
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   ◆ 【一家団欒】 この頃「囲炉裏」が消え「箱膳」が「チャボ台」に、でも「団欒」の時は有った
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           「ふるさと今昔物語 Part-2」  へ続く

 

古希記念作品展

上原を通り掛かったら上原集落センターで古希作品展が開かれていた。

八海山倶楽部のメンバーの進さんと一緒に見学した。古希9人衆は城内中学校第13回生(昭和34年度卒)で約150人と大勢の同級生である。

私は第16回卒(S37)で213人でした。戦後生まれ(S22)で最も大勢の年代でした。城内の写真クラブに一時入ってあちこちに行って撮影会を楽しんでいました。今はもっぱらデジカメで風景を撮って、動画や掲示版・ブログにアップして楽しんでいる。

出展者の主な方の顔は分かるのですが、出されたお茶をいただきながら作品について聞いたりした。趣味とはいえ、時間と根気をかけた素晴らしい作品が一杯展示されていた。現役時代から趣味を持って来たからこそである。古希になっても益々作品にかける時間が多くなるのではないでしょうか。

各出展者の主な一枚を掲載しました。 

↓短歌 「秋の一日」 久川康子 長森出身 埼玉県鴻巣市在住

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↓写真「燃える炎」 高橋良雄 南魚沼市上原  

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 ↓写真「冬間近か」 高野勝栄 南魚沼市下原新田 

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 ↓刻字「諸行無常」(しょぎょうむじょう」「寿而康」(じゅにしてこう)佐藤保 泉出身 高崎市在住 

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↓油絵「ありがとう」山田セツ 上出浦出身 静岡県藤枝市在住  

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↓絵手紙 山崎ヒサエ 暮坪出身 茨城県ひたちなか市在住 

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↓油絵「らくがき」 正田梓 南魚沼市上原 

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↓絵画 「孫・親子」 並木定雄 南魚沼市長森新田

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↓書道「沈田石詩一節」 鈴木快秀 南魚沼市法音寺

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↓10/9 新潟日報朝刊より

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 新潟日報Web から「新潟日報モア」に会員登録を行ってからWeb新聞の中越板のこの記事の写真をクリックすると「モア・ビュウー」で

動画が見られます。

稲刈り風景

10月に入り米つくりもほぼ終了した。今頃は、親戚や兄弟などに新米を送っている時期になった。9月中旬以降は稲刈りも秋晴れに恵まれて刈り取りもハカチが行った。

我が家も親戚から刈り取ってもらった。

今年は台風11号の風の被害で白穂や着色穂が多く発生した。我が家の田んぼも被害が目立って心配だった。

台風直後の消毒防除を行わなかったがなんとか被害が進まず、倒伏せずに持ちこたえた。

9月22日に親戚の大型コンバインで1日かからないで2軒分(約1町歩)を刈り取ってもらった。

我が家の3反歩田んぼ。新堀新田地内

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 6条刈りの大型コンバインとモミ運搬の軽トラ、 私が下原の作業所までピストン運搬する。

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 モミ排出アームが軽トラの上に延びて来る。排出時間5分。手刈りの時代はハッテ場まで運びだした。時間がかかった。

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3時のいっぷく休憩、新宅と共同作業です。手刈りの時代はこの時間が待ち遠しかった。腰が痛かった。

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刈り取りやすいように稲お越し、秋のムラサキ色の花が綺麗であった。田崎地内 

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秋の黄色の綺麗な花。田崎の石万川沿え

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秋のコスモス。白色、ピンク色の花びらが綺麗です。稲穂ヶ丘付近

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花の蜜を吸う蜂。宇田沢川沿え(城内地域開発センター前)

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 秋の彼岸花(曼珠沙華)の赤が冴える。新堀新田地内

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 調製作業が終わって、高く積み上げられた新米(魚沼産コシヒカリ)。下原地内

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初夏の花とジュンサイ採り

泉地区でのジュンサイ採り

秋の稲刈り時期の最盛期になってきました。

なにか掲載したいと思っていたら夏に撮った写真を思い出して掲載した。

城内全域に無料で配布されている「魚沼へ」夏号の表紙写真にジュンサイ採りが掲載されていた。

てっきり「お松の池」の写真と思ったが城内にもこんな所があったのに驚きました。

早速、近くの泉のジュンサイ池へ行って、写真を撮らせてもらった。

池の周りはアジサイの花が咲いていた。道路からはジュンサイ池があることは分からなかった。

お松の池から株分けしてもらったものを休耕田で栽培したようです。

泉地区の立ち葵1 道路脇に延々と咲いていた。

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泉地区の立ち葵2

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泉(中村)アジサイ1 家の裏の排水路に沿ってアジサイが一杯咲いていました。

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泉(中村)アジサイ2 排水路の両脇の石宮とアジサイ

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八海醸造Kk「魚沼へ」の表紙から借用しました。

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泉のしもむら ジュンサイ採り1 静かなジュンサイ池で手ずくりの舟で採取していました。

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ジュンサイ採り2 棒を前に突いて漕いで前進する。

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ジュンサイ採り3 用水路から綺麗な水が入っている。菖蒲も咲いていた。

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現在の小学校入口には二の宮金次郎の石像がたっている。

以前の小学校校舎から昭和48年に移築されたものです。

基礎台座石には「皇紀二千六百年記念」と刻まれていた。

この年は昭和15年で国を上げて各地で紀元2600年記念行事が行われた。

神武天皇即位2600年を祝った年であった。城内でも盛大に行事が行われたことでしょう。

そのような歴史を感じる二の宮金次郎の石像である。

私がこの石像の前を毎日通学した旧城内小学校の頃を思い起こして、懐かしい昭和30年代の上原の家並みをイメージして見ました。

確かな記憶でもないので年代がずれていたり、家並みが違っているかも知れませんがあしからず願います。

現城内小学校入口の二の宮金次郎石造

二宮金次郎.jpg

基礎台座石に「皇紀二千六百年記念」の文字

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昭和30年代頃の上原家屋図(イメージ図です)

昭和30年代上原交差点地図 .jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城内大運動会

今年から午前中で終了です。

8/24(日)快晴の中、城内小学校グランドで城内大運動会が行われた。

今年からはプログラムが絞られて午前中で終了した。午後からは各地区で慰労会が行われた。

競技終了と同時に雨が降ってきた。早速、各応援席のテントが壊されて撤去された。

当新堀新田地区は運動会終了後に集会所で区民祭を行った。外でトラックを使ったステージを午前中かかって完成させたと思ったら急に大雨が降ってきた。

急きょ隣の集会所に会場を移して行った。

そして、夜は地蔵様のお祭りであった。大変忙しい一日であった。

↓玉入れ 新堀新田13位

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↓新堀新田応援席

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 ↓下出浦応援団 各応援席を回って応援で元気づける

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↓綱引き ヨーイドン

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↓ヨイショ!ヨイショ!ヨイショ!久しぶりに綱引きは優勝した

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↓玉入れ 下原新田チ-ム 一人3コの指示!

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↓競技終了と同時にテントの撤去開始

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↓一位の下出浦チ―ム

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↓2位の藤原チーム

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↓3位の新堀新田チ―ム

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 ↓18チームの得点と順位表

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↓競技終了後のモチまき 親子が楽しめるひと時です

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 ↓区民祭 歌手「葉月みなみ」さんを呼んで区民が楽しんだ

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↓本人は午前中からこの会場に駆け付けて「おにぎり」を一杯作るお手伝いをしてくれた。 「葉月みなみ」ブログリンク

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八海山の朝焼け 

久しぶりの八海山からの朝焼けです。

守門岳方面の雲少し低すぎたのか綺麗に焼けなかった、昨日も登ったのだが 朝焼けに間に合わなかった。

薄いピンク色に染まったのだが。

10分早起きして リベンジ 4時55分山頂到着。今日は余裕で間に合った。

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ご来光です、神々しいです、体の回りを羽虫が飛び回り時々刺す。。。虫除け必要です、お日様がさすまでの戦い。

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城内に朝日が差す、薄いガスが漂う山の稜線から。

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夏はぜの実が色ついてきた、まだ甘さは無いが 楽しみの一つ。

坂戸山頂 の広場には 人知れず ミヤマツがあります、ちょうど食べころ。

他の登山者は あまり興味ないのか 減りません 私一人が少しずついただいています。

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撮影ポイントの一つ  カヤが群生して八海山撮りにくいです。これはこれでいいか。

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逆光の遊び、オレンジ色に輝く

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城内豊年ふるさと祭りチラシで来ました。

今年は南魚沼市全域配布します。約21000件

どれくらいの人が見に来てくれるか?

新しい試行も有ります。

期待してください。

 

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八海山からの ご来光

八海山からのご来光 久しぶりです。台風やら、長梅雨やら 一番は 気力が少し萎えて来たようです。

取りあえず今朝のご来光です。

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中ノ岳にもうすぐかかります。大日岳から 1ヶ月半 ここまで移動してきました。

この後帰ったら お墓参り、涼しいうちに済ませます。

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ご来光前守門岳方面薄らと朝焼け、小出方面今日も雲海出てます。

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田んぼに朝日が浴び少しずつ波立つ。

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城内地区に朝日があたって幾つもの光のシャワーが田んぼを浮かび上がらせる。

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五十沢地区も同じ、三国川 方面

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塩沢方面 魚野川の蛇行が奇麗です。

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小出方面 まだ雲海が残っている。

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坂戸山も少しずつ秋色になって来ている。ナツハゼの実も少しずつ紫色に近づいている。

1個ホオバル、まだ 酸っぱくも無い。。

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良いお盆をお過ごしください。

六日町花火

今日の六日町花火 自宅のデッキから撮ってみました。

途中で小雨降ってきました。

屋根付きなのでビール飲みながらの見物、手前に山有るので10号以上の花火でないと顔出しませんが。

FM 聴きながらの見物でした。

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城内の花火楽しみです。

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